演劇研修所ニュース

第18期生 広島国内研修レポート

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2024年8月朗読劇『風が吹くとき』の稽古開始に際し、被爆地・広島に赴き、原爆の被害や放射能の及ぼす影響の大きさ、平和の大切さを学ぶ3泊4日の現地研修を行いました。この国内研修は、「全日本空輸株式会社による新国立劇場若手俳優育成のための国内研修事業支援」により実現しました。

研修生たちにとってこの4日間は、作品の前提となる知識を得ると同時に、歴史を知ること・学ぶことの重要性を再確認する大変貴重な機会となりました。

研修生からの感想と共に、研修の様子をお届けします。

1日目
【見学場所】本川小学校平和資料館、原爆ドーム、平和記念資料館

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原爆ドームの様子をつぶさに観察しました
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平和祈念資料館の前で


広島に到着後まず向かったのは、本川小学校平和資料館です。実際の被爆した校舎が保存して資料館として活用されており、熱線で原形が分からなくなったガラス瓶や缶詰が展示されています。被爆資料やジオラマを見ながら案内していただき、風向きや遮蔽といった条件の違いで起こる被害の差など、様々な知識を吸収しました。

その後訪れた平和記念資料館は、今回の研修の大きな目的地の一つです。原爆そのものや被害の状況、被爆者の方々の想いが、写真や絵、遺品などの膨大な資料で多角的に展示されています。

研修生たちは4時間ほどかけて、展示を真剣に見つめていました。

一瞬で広島の街を焼き尽くした原爆の威力を資料を通して感じ取り、そして一つひとつの遺品に宿った広島の人々の祈りや叫び声を受け止めて、その目をそらしたくなるような凄惨な事実にどう対峙し、どう伝えていくのか、考え、行動する大きな原動力を得た一日となりました。



2日目
【見学場所】袋町小学校平和資料館、被爆遺構展示館、縮景園、宮島


2日目はまず、袋町小学校平和資料館を訪れました。袋町小学校は原爆投下後に救護所にもなった場所です。行方不明者を探すための「伝言」がびっしりと残っている壁を見学し、当時の広島の人々の混乱や行方不明者への思いを知りました。

その後、爆心地から1370mの距離に位置する縮景園に向かい、ガイドの方のご説明を受けながら散策しました。縮景園は広島藩主が築成した別邸の庭園で、原爆投下直後は多くの方が水を求めて集まった場所だそうです。斜めに傾いた被爆樹木は、折れる事なく形を保っているのが不思議なほど不安定な形をしていながらも、しっかりと根を張り続け葉を生やしており、強い生命力を感じました。

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被爆遺構展示館にて
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縮景園の被爆樹木(中央奥)

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厳島神社にて

午後は宮島を訪れて、美しく豊かな自然と、神聖な空気を身体いっぱいで感じ取りました。

世界遺産でもある厳島神社や、広島での慰問演劇の最中に被爆した役者・丸山定夫の最期の地・存光寺を参拝し、公演の成功を祈願しました。




3日目
【見学場所】移動演劇さくら隊原爆殉難碑、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、放射線影響研究所、平和記念公園レストハウス

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追悼平和祈念館にて講話の様子

3日目の午前中は、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に行きました。展示の見学のほか、被爆体験者の迫田勲さんの講話を拝聴し、原爆そのものについてはもちろんのこと、ご自身の経験を交えて原爆による身体への影響等を詳細に伺いました。

今でも原爆被害に苦しんでおられながらも、毅然として伝承者としての責務を全うしようとするご姿勢に一同感銘を受けました。

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放射線影響研究所にてレクチャーの様子

午後には放射線影響研究所に伺い、放射線が人体にどのような影響を及ぼすかについてのレクチャーをお聞きしました。

放射線についての前提知識や基本的な用語説明に始まり、放射線影響研究所が被爆者の方々のご協力のもと行った、放射線による健康影響の研究について、科学的な視点から丁寧に教えていただきました。

お話は、放射線やその影響力に関する研修生のこれまでの認識を大きく変えるもので、驚きや疑問の声が活発にあがりました。そして、物事には様々な捉え方、アプローチの仕方があることを実感し、広島で得た知識や経験を今後どのように捉えて扱っていくかを意識するきっかけにもなった様子でした。

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平和記念公園レストハウスにて

その後、平和記念公園レストハウスに向かいました。レストハウスは、爆心地から最も近い距離で生存した野村英三さんが原爆投下時にいた地下室を保存し、野村さんの手記などを展示している施設です。被害を受けて命を落とすことだけでなく、生き残ることにも計り知れない辛さがあると知り、戦争が人々の人生を根こそぎ変えてしまうことを改めて痛感しました。



4日目
【見学場所】アレイからすこじま、大和ミュージアム、呉湾艦船巡り、海上自衛隊呉史料館 てつのくじら館


最終日は呉市を訪れました。大和ミュージアムや海上自衛隊の潜水艦にまつわる史料館を見学し、近代から現在へと続く日本の平和維持の活動と技術について、歴史を踏まえつつ学びました。また、呉湾艦船巡りのクルージングに参加し、元自衛官の方による解説とともに潜水艦や護衛艦を間近に見て、『風が吹くとき』の登場人物も想いを馳せる兵器の大きさや重量感を感じ取りました。

世界中で開発されてきた強大な力を持った技術が、何かを攻撃するために使われるのではなく、何かを守り救うためだけに使われることを強く願いながら、4日間の研修旅行を終えました。

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大和ミュージアム
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呉湾艦船巡りの船上にて



~4日間を振り返って~

・広島では原子爆弾によって凄惨な被害を被った人々が、「同じ過ちを繰り返さないように」と平和を目指し、戦争の愚かさを諦めずに世界へ訴え続ける強さに心を打たれました。

人々が挫けずに作り直した街と歴史において、戦争や原子爆弾によって受けた傷を無かったことにするのではなく、ありのままの姿で残し、自ら平和な未来への礎になっていこうとする人々と街の在り方は一表現者、一人間としても見習いたいと強く思いました。

・被爆された方のお話や残されている証言は、初めて知ることも多く、作品作りにおいても、俳優人生としても、とても得るものが大きかった。

放射線影響研究所でのお話も、作品への科学的な目線からのアプローチの可能性を感じたし、得たことをどう捉えどう扱うか、ということも考えなければならないと思った。

それらに加え、広島という地へ実際に立ったことが何よりも大きな収穫だった。凄惨な出来事があった場所、復興への灯火が灯っていた場所であり、実際に被爆にあった建物の周辺などは、匂いや空気感が全く違っていた。

被爆された方はいつか居なくなってしまう。原爆投下によって引き起こされた惨事を、そこから今ある広島の形まで復興を続けた広島の人々の心を、「平和」に向かって、我々がどのように未来へ伝え、つむぎ続けられるかを考え続けなければならないと強く思った。

・4日間の広島研修を経て、最も印象に残ったのは放射線影響研究所での放射線についてのレクチャーです。ここでは被爆した際の急性症状について詳しくお話を伺うことができました。専門家の視点から、『風が吹くとき』の作品中で描かれる外の被害状況から想定される原爆の威力と、物語に出てくる2人の急性症状の矛盾などの情報を、絵本を読んだ上で細かく解説してくださりました。また、我々の質問にも沢山答えてくださり、時間の限り貴重なお話を聞くことができました。

・広島の街には至る所に平和への願いと叫びが込められており、ここで起きた出来事を強く訴えかけられる瞬間に何度も出会いました。ガイドの方や被爆者の方が深く我々に向き合って下さったことに感銘を受けました。資料館や被爆者の方のお話やレクチャーを受け、戦争は人々の人生を根こそぎ変えてしまうものだと改めて思いました。上演に向けて被曝者の方の言葉をお借りすると戦争と平和の尊さを伝承できるよう覚悟を新たにしました。

・本川小学校を見学した際、学校行事で池を掘った際に出土した被爆瓦を見ました。今でも広島市の地下1メートルには、大量の被爆遺構が埋まっているそうです。原子爆弾が人々から何を奪い、何をその地に残したのか。戦後80年が経とうとする現在でも広島が語っていることを、噛み締めながら歩きました。「安らかに眠ってください 同じ過ちは繰り返しませぬから」という碑文を忘れないように生きていきたいと思います。

・4日間の研修の中でも、広島市内での経験は特別です。市内を歩くことでわかる原爆の威力と狂気。資料館の衝撃的な写真や資料の数々。戦争の現実と原爆の脅威を肌で感じ、怒りが込み上げました。

中でも、被爆体験者の方が、最期まで水を求めていた方の様子を涙ながらに語られている映像資料が印象的でした。あんな酷い兵器はもういらない、という声に、思わず涙がこぼれました。

この研修で得た知識、経験を元に、演劇を通じて平和のために何ができるのか考え、夏の公演に臨みたいと思いました。

・広島県には1945年8月6日に起こったことの跡がたくさん残っていました。溶けた瓶、壁に刺さったガラス片、ボロボロになった学生服、人を探す伝言板、被爆者の方の証言、たくさんの石碑...。今まで本やインターネットでしか見ていなかった情報を自分の目や耳や肌や心で感じ、決して遠い場所での出来事ではなかったことを実感しました。事実から目を逸らさず今後に伝承すること、俳優としてどのように社会に貢献していけるのか改めて考えるきっかけともなりました。

・広島での4日間を通して、私は「伝承する」ということについて考えました。これは被爆者の迫田さんのメッセージです。伝承することは、ただ唱えるだけではなく、平和を続けていくために"行動"することだとおっしゃっていました。私は平和は何もしなくても、むしろ何もしない方が続くものだとどこかで思っていました。ですが、平和を続けるためには努力が必要で、様々な資料館も被爆者の方が体験を語り続けてくださることも、その平和を続けるために行っている努力なのだと思いました。私達は"演劇"で平和を続けるための努力をしなければならないと感じました。それが伝承することに繋がると信じて、、。

目をそらしたくなる事実を資料として遺し、実相をしっかりと伝えていく広島の方々の姿勢が力強く、資料を目にするたびに胸が震えました。死者14万人の暮らしが1つの原爆によって一瞬にして破壊された実相に触れたとき、表現者として伝えていくためにはそう簡単に全容を理解できるようなものではないという感触がしました
戦争が続く世界情勢への危機感を、朗読劇を通して伝えていくことの責任の重さをどっしりと感じました。

・国内研修での4日間は、五感を大事にした日々でした。今まで教科書やネットで得ていた知識が五感を通して自分に落とし込まれる感覚があり、作品づくりに向けてだけでなく人間として大きな意味のある時間でした。 特に印象に残ったのは、広島平和記念資料館をはじめとする展示での自分の体の反応です。一つひとつに人生が詰まった展示品に自分が近づくことは容易ではなく、自分はこれほど大きなものを作品で扱っているのだという責任を感じました。 広島で感じたことを、誠実に舞台上で伝えていけたらと思います。