演劇研修所ニュース

第17期生 沖縄国内研修レポート

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2023年8月朗読劇『ひめゆり』の稽古本格開始に際し、「ひめゆり学徒隊」の足跡をたどり、沖縄戦の実態を学習し、また琉球文化の息吹を現地で吸収するため、4泊5日の現地研修を行いました。この国内研修は、「全日本空輸株式会社による新国立劇場若手俳優育成のための国内研修事業支援」により実現しました。

研修生たちにとってこの5日間は、作品の時代背景や歴史を知ること・学ぶことの重要性を再確認する大変貴重な機会となりました。さらに、沖縄の文化・風俗を五感で体験することによって、より一層の刺激を受けて参りました。

研修生からの感想と共に、研修内容の様子をお届けします。

1日目
【見学場所】南風原文化センター(飯あげの道・沖縄陸軍病院南風原20号壕)

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飯あげの道にて

那覇空港に到着した途端に、朗読劇『ひめゆり』の物語の空気を感じることができました。東京より暖かく、肌に触れた湿度は高く、空気が変わると、呼吸も変わる気がしました。

お昼過ぎに南風原町文化センターに到着し、まず「飯上げ」体験をさせて頂きました。学徒隊が日々運搬していたという食糧と同じ重さで山道を歩いたところ、すぐに肩の骨が痛くなり、学徒隊員たちは疲労困憊の中、これを担いで、敵兵に見つからないように走って運んでいたのかと思うと、とてもやるせない気持ちになりました。

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南風原文化センター前にて

次に、沖縄陸軍病院南風原壕群20号を見学しました。私にとっては初めての壕見学となり、とても狭くて暗く、籠った臭いのする、湿気がある場所であることを知りました。
ガイドの方に細かく説明頂いた内容は、文献で得た病院壕の知識よりも遥かに衝撃的なものでした。実際のこの場所で、この環境で、たくさんの兵隊やひめゆり学徒隊が生活して命を落としていったと思うと、涙が止まりませんでした。

初日から、実際に「知る」ことの重要性が突きつけられました。2日目以降は、覚悟を持って知っていかねばならないと、改めて自分の腹が決まった1日となりました。

2日目
【見学場所】糸数アブチラガマ分室・首里城公園・玉陵
【その他】うちなーぐち教室・琉球舞踊教室

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糸数アブチラガマ見学を終えて

自然洞窟である糸数アブチラガマの中で、当時の壕の中にいらした人々が過ごした、実際の暗闇を体験したことが強く印象に残っています。携行していた懐中電灯を消してしまうと、数十センチ前も見えず、鍾乳洞から垂れる滴の音と、周りの人の呼吸音だけが響きわたります。

動くことのできない重症患者は、天気も時間もわからず、太陽のあたらないこの場所で、ただ死ぬのを待っていたと思うと、残酷に思い、悔しくて仕方がありません。このようなことが二度と起こらないことを強く願い、平和を願い、日々の生活を過ごしていかなければならないと思いました。

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守礼門前にて

午後には沖縄の方々の宝ともいえる首里城周辺を散策しました。

青空に映える美しい朱色が印象的な守礼門をはじめ、琉球王国の豊かな文化や色彩、そして王国時代の和やかな空気を感じることができました。

その壮麗な首里城を背にすると、第32軍司令部壕が。その入口は今や鬱蒼とした茂みに隠されていますが、悲惨な沖縄戦の実相を今なお静かに語り継ぐ戦跡として残されています。

少し歩いた先には、琉球王国の王族の墓地である玉陵があり、静謐な中にも威厳の感じられるたたずまいに感服しました。

夕方には、那覇市ぶんかテンブス館にてうちなーぐち(沖縄語)研修と、琉球舞踊の体験実習に参加しました。
うちなーぐち独特のイントネーションや、明治以降の公民科教育で方言がどのように扱われ、再教育されてきたかなど考えさせられるお話を伺いました。
また、琉球舞踊体験では庶民の間で流行した雑踊り「貫花」を教えて頂きました。華やかかつ乙女の初々しさも感じられる踊りを体験し、琉球の芸術文化に触れられたことは得難い経験となりました。 最後には、みんなでカチャーシー体験も。陽気で力強い沖縄の皆様に少し近づけたような気がしました。

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当山彰一さんによるうちなーぐち講座
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「貫花」練習の様子
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琉球舞踊講師:玉城敦子さんと共に

3日目
【見学場所】ひめゆり平和祈念資料館・ひめゆりの塔・伊原第三外科壕・伊原第一外科壕・山城本部壕・荒崎海岸・魂魄の塔
【その他】波上宮にてなんみん祭例大祭

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なんみん祭 例大祭見学を終えて

この日5月17日は、『ひめゆり』の作中で、女子師範の新入生が初めて制服を着る日としてその様子が描かれており、あわせて那覇市の中心街程近くにある波上宮でなんみん祭が行われることにも言及されている日でした。

午前中から行われていた例大祭では、琉球舞踊の神楽が奉納され、雅楽と歌三味線の調べにのった典雅な舞を堪能しました。

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ひめゆり平和祈念資料館にて

ひめゆり平和記念資料館では、学徒の方々が壕の中でどんな生活をしていたのかを語っている証言の映像が印象的でした。朗読劇『ひめゆり』の作中で描かれている生活の詳しい状況や、その時どんなことを思ったのかを鮮明に知ることができ、現実と向き合う時間となりました。

資料館の中の鎮魂の空間では、たくさんの生徒や教師の方々の証言や写真、伊原第三外科壕の模型があり、この空間が本物の壕の中にあるように感じました。そして壕の中で、ここにいる多くの人々が亡くなったり、苦しい思いをしたりしたと思うと、胸が痛くなりました。

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荒崎海岸にて

資料館を出た後は、ガイドさん先導のもと、「ひめゆり学徒隊」の足跡をたどるフィールドワークに出ました。その中でも、荒崎海岸に出るまでの、ジャングルのような細い道は忘れられません。

敵兵に見つかりそうになると、とっさに身を潜めていたというアダンの木の葉は、実際に触ってみると、とても硬く葉の両脇には鋭い棘がびっしりとありました。少し触れただけでも刺さってしまいそうなその棘の葉に、何度も飛び込むように身を潜めていたと思うと、学徒たちの肌は傷だらけだったのではないでしょうか。

海岸へ出ると突風のような向かい風が僕たちを迎えました。78年前、敵船で真っ黒に埋め尽くされたこの海の景色は彼らにとってどう見えたのだろう。このふきつける向かい風を彼らはどう感じたのだろうと、想像するだけでも胸が締め付けられるようでした。

4日目
【見学場所】轟壕・チビチリガマ・国立劇場おきなわ・嘉数高台公園


朝いちばんで、ひめゆり学徒隊の女子師範学校・一高女の跡地まで一同で散策。現在は小学校になっている朝の校庭を見て、当時の女師と一高女も同じ様な景色だったのではないかと思いました。

轟壕とチビチリガマでは、当時この壕まで避難してきた住民の方々がどのように日々を暮らしていたのかをガイドの方からお話を伺いました。

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轟壕へ

当時の沖縄県知事や幹部職員なども避難してきたことから「沖縄県庁最後の地」とも言われる轟壕は、雨が降ったりやんだりの中での入壕だったため、防水シューズでも足元が取られやすく、行き先は暗く見えづらいものでした。さらに迫り出した鍾乳石に頭をぶつけることも度々。

ただでさえ歩くことが難しい地層の上に、当時は血や糞尿などの匂いが充満していたことも考えると想像を絶します。

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チビチリガマにて

その後訪れたチビチリガマは、米軍が最初に沖縄本島に上陸してきた読谷村にあり、当時の住民はチビチリガマとシムクガマに分かれて避難生活を送っていました。米国からの仕打ちを恐れ、チビチリガマに避難した人々は集団死を選択せざるを得ない状況に追い込まれ、多くの尊い命が散りました。一方、シムクガマに避難した人々は、ハワイからの帰国者だった入壕者の必死の説得によりそのほとんどが投降へと導かれ、助かることとなりました。

この地でお伺いした「戦争は人間が人間でなくなるものだ」というガイドさんの言葉は特に印象に残っています。戦争中に集団自決が起きたガマの前で、なぜ戦争を繰り返してはいけないのか、繰り返さないために私たちはどうすればよいのか、また当時の沖縄から現在の沖縄とも向き合い考える時間となりました。

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国立劇場おきなわ大劇場にて 貴重な幕の前での一枚!

お昼過ぎには国立劇場おきなわの方のご厚意により劇場見学ができました。広々とした大劇場の舞台の上に立たせて頂いたり、その裏側にある奈落を見せて頂いたりと、興味深い経験となりました。

最後に嘉数高台公園を見学しました。チビチリガマにてガイドの方が仰っていた「戦争は昔のことだけじゃない。今も繋がっている。」という言葉が公園の高台から米軍の普天間基地が見えたことで、より一層意識させられました。

5日目
【見学場所】沖縄県営平和祈念公園(沖縄県平和祈念資料館・平和の礎)・対馬丸記念館

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沖縄県営平和祈念公園 「命どぅ宝」の碑と共に

沖縄研修最終日、再び本島南部を訪れ、沖縄県営平和祈念公園内の平和祈念資料館で沖縄戦の全容を資料と共に学びました。加えて、戦争が終わってからの収容所生活や、27年間の米国統治下における沖縄の様子、本土復帰運動、基地反対運動と現在までつながる沖縄の諸問題を、この研修の総括として概観しました。

1931年にはじまるいわゆる十五年戦争で命を落とした方々のお名前が、国籍問わず刻銘されている平和の礎も見学しました。その数のあまりの多さに、二度とこのような悲惨な歴史は繰り返すまいと決意を新たにし、「命どぅ宝(ヌチドゥタカラ)」の言葉を改めて心に刻みました。

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対馬丸記念館の展示室にて

対馬丸記念館では、語り部さんから直接お話しを伺うことができました。その方は、ご自身が幼少の時に対馬丸へ乗船しており、そこで母と姉を亡くされたといいます。 対馬丸事件でご家族を失った語り部さんが、その後どんな人生を送ったのか。講話の後に語り部さんにお聞きすると、「プライベートなことだから話さなかったけど...」と前置きした上で、ご自身の体験について話してくださったのが印象的でした。 年月が流れ、語り部さんが年々減っていくからこそ、戦争を知らない私達が過去の出来事に歩み寄っていかないと、大切な記憶が失われていってしまう。そのことに恐怖を感じ、また、自分がやらなければという責任感も芽生えました。

~5日間を振り返って~

・今回、作品の舞台となる沖縄の地を訪ねることで、本やインターネットだけの情報ではなく、フィールドワークをすることで初めてわかる、例えば、壕の中での様子や沖縄の気候や人々の様子を自分の身体を通して、俳優にとって大切な感覚を直接体験できたことが本当に良かったです。この研修で受け取った想いや感じたことを糧に、作品に向き合いたいと思います。

・沖縄研修を経て、実際に現地に訪れることでしか得られないさまざまな収穫,発見があり、フィールドワークの重要性を知りました。その場所を感じること・実体験を持つことは、俳優にとって役を演じ、台詞を言う際にとても重要なことです。この研修で身体を通して感じた確かな実感を支えに、史実やデータからだけではわからない、沖縄戦で起きたことその事実を、舞台を通して、今を生きる人たちに感じてもらえるように、伝えていきたいと思いました。

・以前恩師から聞いた「過去について知ることは、現在を見つめること」という言葉を、身をもって体感した国内研修でした。ガイドさんのお話しをお聞きしながら、実際に土地を歩き、五感で感じて追体験することで、"戦争"という過去の出来事を自分ごととして捉えることができました。また、その視点を持った上で現実に目を向けると、今起きている問題についてより主体的に考えるようになったと感じています。 そして、今回得た気づきで一番嬉しかったのは、自分は役者という道を選んだからこそ、この過去を未来へ伝えていく語り部の役割を果たすことができるということ。自分の存在意義を認識できた瞬間でした。

・沖縄研修を終えて、実際に行くことの重要性を感じました。とりわけガイドの方々のお話を通して、今沖縄で生きている人達の声を間近で聞くことができたことが良かったです。 色々な方からの協力があり、そして思いがあり、我々俳優はそれらを背負って舞台に立ちたいと強く思うことができました。

・沖縄研修を経て、朗読劇『ひめゆり』を上演する覚悟が決められたことが1番大きかったと感じました。現地に降り立って、ひめゆり学徒隊として動員された方々の証言を聞いたり、ガマの中に入ったり、五感を最大限に使って沖縄戦に触れることで、想像で埋めていたものが鮮明になり、地に足が着いたような感覚がしました。 実在していた人物を演じ、実際に起きたことを作品を通して伝えることが、現在を生きる人々に沖縄戦を語り継いでいく役目を担えることに感謝し、丁寧に向き合っていきたいです。

・沖縄研修を通じて「知る」ことの大切さを学びました。本や写真から、沖縄(または沖縄戦)について知識を得て研修に臨みましたが、実際に現地で「知る」ことは、とても軽々しい気持ちでできるものではありませんでした。この度訪れ見学したガマや慰霊碑、沖縄戦で生き残った方々の証言などは、正直、知識では到底分からなかった衝撃的なものでした。しかし日本人として、人間として、自分が自発的に「知る」ことで、沖縄現地で触れたたくさんの想いを記憶することができました。そして、戦争のない今の日本だからこそ、ひとりの表現者として、このことを伝えていきたいと強く思いました。 「無知」というのは、平和であると同時に、とても恐ろしいことです。私はこれからも「知る」ことで、色々な物事と関わり、この世の中の当事者として、覚悟を持って生きていける人間でありたいと気が引き締まりました。

・文字と言葉ではここまで感じるものが違うのか。演劇研修所の「声」の授業で、声の響きが客の心を動かすということを習いましたが、それをまさに体感しました。戦争を二度と起こしてはならないという語り部の方々の想いの籠もった言葉一つ一つが骨身に染みていくのがわかりました。本からは得られない、言葉の持つ強さを実感するとともに、私達は彼らにその想いを「託された」のであり、私達17期が彼らの意志を継ぎ、語り部として選ばれたという責任感が生まれました。朗読劇「ひめゆり」は語り部の方々、戦時下ガマで過ごした人々、亡くなった住民、日本兵、アメリカ兵、それらすべての想いが込められていること実感できた五日間でした。