【ニューイヤー・バレエ】『ペンギン・カフェ』特集:日本、そして世界における絶滅動物

No_0582.jpg

2021年1月に上演する「ニューイヤー・バレエ」のプログラムの1つである『ペンギン・カフェ』(振付:デヴィッド・ビントレー)。
このバレエ作品には、かつて大西洋に生息していた原初のペンギン「オオウミガラス」をはじめとして、様々な絶滅動物・絶滅危惧動物が登場します。軽快な音楽にのせて踊る可愛らしい動物たちの姿はユーモラスでありながら、痛烈な文明批判と現代の環境問題にも通じるメッセージを伝えています。

今回の上演にあたり、科学・芸術の両面から、絶滅動物・絶滅危惧動物への関心や理解を深めていただく機会にしたいと考え、国立科学博物館のご協力を得て、日本、そして世界における絶滅動物をご紹介します。


協力:国立科学博物館

ニホンオオカミ
ニホンオオカミ .png

かつては日本にもオオカミが生息していました。 ニホンオオカミ(学名 Canis lupus hodophylax)は明治時代まで本州・四国・九州に分布していた食肉目イヌ科の動物で、ユーラシア大陸から北米大陸に広く分布するオオカミ(学名 Canis lupus)の小型亜種です。北海道産のオオカミは亜種エゾオオカミ(学名 C. l. hattai)で、ニホンオオカミよりはやや大型であるとされています。

20世紀初頭までに狂犬病の流行や狩猟の影響、また生息地が開発された結果として個体数が減少し、絶滅したものと考えられています。標本が残されている確実な最後の記録は、1905年に奈良県鷲家口を訪問した米国人採集人マルコム・アンダーソンと通訳兼助手の金井清が地元の猟師から購入した雄個体で、現在その個体の頭骨と毛皮は大英自然史博物館に保管されています。 この後、1910年に福井城址で捕獲されたオオカミの写真を最後の個体とする説もありますが、標本が残されていないため確実な情報とは言えません。以後もニホンオオカミの生存を示唆する情報は絶えず、生存を信じる人々は多くいます。

剥製標本は、オランダのライデン自然史博物館にあるタイプ標本と国立科学博物館、東京大学、和歌山県立自然史博物館にある4点があるだけですが、頭骨など骨格標本は比較的多くの標本が残されています。

ションブルグジカ 
ジョンブルグジカの角.png
ションブルグジカの角

タイを中心とする東南アジアに分布していた偶蹄目シカ科の大型種。シカの仲間は複雑に枝分かれした角を持ちますが 、本種は最も分岐が多い種の一つです。多くのシカの角では、基部から前方に伸びる枝(眉枝:blow tineという)があり、ニホンジカの場合は先端に向かうにつれてほぼ等間隔で2番目・3番目の枝が出ます。

ところがションブルグジカ(学名 Rucervus schomburgki)は、blow tineの次に主幹が大きく二分され、それぞれが更に二分岐してフォーク状の角となるのが特徴です。先端に向かうにつれて更に二分岐が続いて、枝の総数は非常に多くなるのです。

複雑で大きい角は森林で生活するには邪魔ですが、狩猟家にとっては魅力的な構造物であったようで、20世紀初頭にその見事な角を求めた乱獲により、個体数が激減しました。 1938年に野生由来の最後の個体が死亡して、以後確実な生息情報はありません。この最後の個体はタイの寺院で飼育されていたものでしたが、ある夜、酒に酔った少数民族の男がこん棒で殴り殺したのだといわれています。しかし、その後も本種の生存説はあり、1991年にはラオスの市場でションブルグジカの角が販売されていたともいわれています。

フクロオオカミ
フクロオオカミ .png

かつてオーストラリアに生息していたフクロオオカミ(学名 Thylacinus cynocephalus)は、 オーストラリアで最大の肉食獣でした。しかし、イギリス人がオーストラリア大陸に到着した1770年代にはすでに大陸では絶滅し、タスマニア島にだけ生き残っていました。大陸での絶滅は、数千年前にヒトが渡来した時に持ち込んだ「ディンゴ」と呼ばれるイヌとの競合によるものと考えられています。

ディンゴが移動できなかったタスマニア島は、フクロオオカミにとって高次捕食者として残された最後の地でした。ところがここにもヨーロッパ人がイヌを持ち込み、またフクロオオカミは家畜を襲う害獣として駆除されていったのです。最後に野生で見つかったフクロオオカミは1930年に射殺された個体だといわれています。

オオウミガラス
オオウミガラス.png

ヨチヨチと二本足で歩くペンギンは、南半球に生息する飛べない水鳥で、動物園や水族館の人気ものです。しかしペンギンという名前は、もともとは全く別の鳥、今回のバレエの主人公オオウミガラス(学名 Penguinius impennis)に付けられた名前でした。後に見つかった南半球の鳥がオオウミガラスに似ていたので、そちらにもペンギンという名前が付いたのです。

飛べない鳥オオウミガラスは、かつてはカナダ東部、グリーンランド、アイスランド、そしてスコットランドにかけての岩だらけの島々で、夏に大きな群れを作って子育てをしていました。しかし、この習性はオオウミガラスを狙う人間にとって好都合なものでした。

人々は数百年にわたってオオウミガラスを捕獲し続けました。肉や卵は食用になり、羽毛はマットレスの詰め物になりました。そのため19世紀の初め頃には数が激減してしまいました。しかしその後も保護されることはなく、さらに希少価値が出た卵や羽毛を目的とした狩猟が続くことになりました。1844年、アイスランドのエルディ島で最後のつがいがハンターに殺され、たったひとつ残っていた卵も割られて絶滅してしまいました。

オオウミガラスは、自然環境の悪化などによって絶滅したのではなく、人間による乱獲によって姿を消した鳥なのです。

関連リンク