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「カストリー・エレジー」 |
1998年10月 3日(土)〜11日(日) |
「神々の国の首都」 |
10月17日(土)〜25日(日) |
「寿歌」 |
10月29日(木)〜11/ 3日(祝) |
各作品とも
A席 : 4,200円
B席 : 3,150円
3作品通し券(A席)11,340円(10%割引)限定200セット
前売開始 :1998年9月 5日(土)10:00〜
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演劇企画集団THE・ガジラ <カストリー・エレジー>
スタインベック「二十日鼠と人間」より |
脚本・演出:鐘下辰男 |
制作 :オフィスコットーネ |
美術 :島次郎 |
照明 :中川隆一 |
音響 :井上政弘(オフィス新音) |
舞台監督 :山岡均(THE ACT) |
演出助手 :藤井清美 |
出演 :内野聖陽(文学座) 千葉哲也
塩野谷正幸 三田村周三
宮島健(第三エロチカ) 朝倉伸二
井上幸太郎 石田えり |
94年に公開された『カストリー・エレジー』は、スタインベックの出世作ともいえる「二十日鼠と人間」をモチーフにした作品です。時代背景を太平洋戦争直後の日本に置き換え、社会の縁にしがみつきながら生きる二人の男の友情を、詩情豊かに描き出しています。ささやかな夢を追い続けながらも、壮絶な運命をたどる彼らの姿は、強い衝撃を与え、深い感動をよび覚ますことでしょう。この作品は94年上半期の読売演劇大賞の作品賞にノミネートされ高い評価を受けました。今回は脚本も一部改訂しキャスト・スタッフも新たに、渾身の意欲作としてよみがえります。 |
主人公ケンが、最終的に長年の連れ合いだったゴローを殺害せねばならなくなるという、「悲劇」で終わりを告げるこの『カストリー・エレジー』は、単に芝居上の悲劇だけに止まらず、その後の日本の行く末を予言した「悲劇」として構成されている。確かにあの当時、人間はあらゆる物を、焼け焦げた廃墟の様々なる場所へと投棄してきたのである。今はなき遠き祖母の世代が捨て去ったそれらの物を、孫の世代である我々に出来ることといえば、何年かかろうとも、その一個一個を丁寧に探し出し、拾い上げ、そして検証し、再び次の世代へと渡してやることでしかない。そうした芝居が国立劇場で上演されるという意義を、我々はまず確認しなければならないのだ。
鐘下辰男 |
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作・演出:坂手洋二 |
制作 :燐光群 |
美術 :加藤ちか |
照明 :竹林功(龍前正夫舞台照明研究所) |
音響 :島猛・杉山聡(ステージオフィス) |
衣裳 :宮本宣子 |
演出助手:深井一雄・阿部真里子 |
舞台監督:村松明彦+ZEST |
出演 :川中健次郎 黒田明美 鴨川てんし
伊川東吾 猪熊恒和 下総源太朗
千田ひろし 北村魚 TONIA CHAUVET
SHEILA HYDE 石川真希 高野旺子
岸田修治 山上優 山田勝紀
江口敦子 吉田智久 丸山祥宏
樋尾麻衣子 ほか
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紹介者として、批評者として、近代日本と西洋世界との橋渡しをしたといわれるラフカディオ・ハーン。美化され、偉人伝として語られることの多い彼の生涯ですが、彼自身の内面の葛藤、日本文化との出会いは、ダイナミックな精神のたたかいとして語られるべきものです。この作品は、93年の初演以来、「見事なステージング」「かつて見たことのない日本人論」として、国内だけでなく、二度にわたるヨーロッパ・ツアーでも高い評価を受けてきました。今回は英国から俳優を招き、異文化どうしの出会いというテーマにより深いリアリティを得たニューバージョンとして、その成果が期待されます。 |
『神々の国の首都』の主人公ラフカディオ・ハーンは自身を「夢の中の旅人」に喩えました。私たちも演劇を舞台空間での「旅」であると考えます。そして、各地を巡演する「旅」も大切にしたいと思います。新国立劇場での公演に併せ、ニューヨークを皮切りに、来日前ハーンが青年期を過ごしたアメリカ四都市での上演を予定しています。私たちはこの劇を海外6ヵ国で上演してきましたが、ブルガリアとマケドニアでは国立劇場での上演でした。どちらの劇場も付属の劇団やスタッフが定着し、限定された条件の中で有効にその場所を使いこなしているようでした。今回の上演は、ハーンの軌跡を辿るように「たまたま日本という国の国立劇場に招聘されたので上演する」という新たな「旅」の一場面というスタンスになると思いますが、初演から5年、思い切ったリニューアルを施し、国家や言語・社会の差異を見据えた、新鮮かつ刺激的な「旅」にしたいと思っています。
坂手洋二
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作・演出:北村想 |
制作 :プロジェクト・ナビ |
照明 :石原福雄・安藤昇益 |
音響 :ノノヤママナコ・細川ひろめ |
舞台監督:永井優二 |
出演 :佳梯かこ 中原和宏 久川徳明(劇団翔航群)
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79年に初めて上演された『寿歌』は、80年代の小劇場演劇の方向性をセンセーショナルに示した作品として有名です。出演者3人だけのシンプルで静かな、そして喜劇的な舞台ですが、この『寿歌』が演劇界におよぼした影響は絶大でした。核戦争後の世界という奇抜な設定と、全体に漂う独特の空気は、新しい演劇の扉を開いたといえます。これ以降で廃墟を舞台とする近未来劇の多くは、この作品に刺激され生まれたといわれているほどです。80年代の小劇場のトレンドを作り上げ、いもなお少しも色あせることのない不朽の名作が、鮮やかに戻ってきます。 |
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いまさら『寿歌』を上演する意義について考える柄ではありませんが、私どもがもし、未来と現在と過去を結ぶ大きな円環の中に、そうです、かのニーチェ先生のおっしゃつた永劫回帰の輪っかの宇宙に生きているとするならば『寿歌』のゲサクどんとキョーコはんの引くリアカーは、そして彼らの演じます、まことにエエカゲンなお芝居は、どこまでもどこまでも、彼らの故郷をもとめて〔イク〕ものであり、けして〔カエル〕ことのない旅路の旅芸人たちの、終わりのない夢路なのであります。私たちの現在成すところの答えは遙か未来に用意されているのですから、私たちは〔イク〕ことをやめるわけにはいかないのです。到達することのない未来に向かって、私たちは『寿歌』とともにどこまでも〔イク〕ことでしょう。その証をこの劇場でおめにかける次第です。
北村想
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