(演出 ベルント・ヴァイクル)
ワーグナーが自身の作品、文学を通して何を伝えたかったのでしょうか。彼には夢があり、自身の音楽を通じてユートピアを作り上げたいと考えていたのです。しかし、この作品を生んだドイツを賛美する精神は、かつてヒトラーの時代に国威発揚のための道具として使われ、ファシズムの宣伝のために利用されたという悲劇的な歴史を持っています。さらに、今でも多くのジャーナリストが反ユダヤ的な要素を探そうとする傾向があるようですが、実際はファシズムを賛美するようなところは微塵もなく、反外国的な態度を取ることがどれほど愚かなことであるかをこの作品で示しているのです。私はそこを是非とも、今回の演出を通して世界に示したいと考えています。また、歌手がどの瞬間に歌い、どの瞬間であればアクションを起こすことができるのかを私は知っています。歌手がより良く歌うことができるようにまず歌を優先し、そしてドラマを表すのにもっとも適切で効果的な動きをつけていきます。そうすることによって、ワーグナーが作曲した時代から20世紀、そして今現在を橋渡しするような空間をつくり、ユートピアを劇場の中に実現させたいと願っています。きっと皆さんを感動させるものになると信じていますから、どうぞお楽しみに。
芸術における 「古さ」 と 「新しさ」
『マイスタージンガー』は初期作品を別にすればワーグナー唯一の喜劇ですが、そこに高尚な芸術談義が織り込まれていることも見逃せません。ここで作者が提起した問題は、芸術における「古さ」と「新しさ」の相関関係で、規則づくめで硬直したマイスターたちの芸術に、自然児ヴァルターの芸術が対置されます。この両者の葛藤がドラマの進行に活力を与え、やがてヴァルターの芸術はマイスターのひとりハンス・ザックスの共感と理解によって広く民衆の支持をうることになるのですが、古さと新しさの問題は筋書きの次元にとどまるものではありません。前作『トリスタン』で半音階法を徹底して追求した作者は、この作品では自分の手元にあるさまざまな音楽語法を効果的に組み合わせる方法を選びました。これは、みかけは穏やかですが、その当時としてはきわめて斬新な発想だったのです。このことは第2幕の「ニワトコのモノローグ」で、ザックスがヴァルターの歌について語るとおり。「感じることはできるが、わからない。とても覚えきれないが、さりとて忘れがたい。つかめても、測れない。そもそも、つかみどころのないものを、どうやって測ろうというのか。どんな規則にも当てはまらないが、それでいて間違いはない。古い響き、それでいて新しい響き、愛しき五月の鳥の歌声」。ワーグナーは、長い冬をくぐりぬければ昔からの鳥の歌声も新しく響く……そこに芸術再生の理想を託したのです。
喜劇の活力源<嘘>で楽しむマイスタージンガー
16世紀半ばのニュルンベルク。靴屋の親方ハンス・ザックスは、この町にやってきた騎士ヴァルターと隣家の娘エーファが恋仲であることを知り、エーファに横恋慕している市の書記ベックメッサーをおとしいれてヴァルターを歌合戦で勝たせ、ふたりの仲を取りもつ……『マイスタージンガー』の物語を要約すれば、ざっとこのようなことになるでしょう。しかし喜劇の魂は細部に宿るもの。そこで重要なのは、喜劇の活力源ともいえる「嘘」ではないでしょうか。もちろん、ここでいう嘘とは事実に反する発言という本来の意味だけではなく、思ってもいないことを口にすること、知っているのに答えないこと、あるいは言うべきときに言わないこともふくみます。たとえばヴァルターは「まっすぐニュルンベルクをめざしたのは、芸術への一途な想いから」と言いますが、これはマイスタージンガーにならなければエーファと結ばれないことを知っての嘘(第1幕第3場)。城や領地をもちこたえられなくなって、ニュルンベルクに流れ込んできたというのが本当のところでしょう。またザックスがヴァルターについて「ここで暴れまくるのはやめて、よそで花を咲かせろ」と思ってもいないことを口にするのは、エーファの反応を確かめるための嘘(第2幕第4場)。思ったとおりエーファは激怒するわけですが、その前に彼女が「娘代わりの私を、あなたのお嫁さんにしてもらえるものと思い込んでいた」とザックスに鎌をかけていることを考えれば、嘘の相討ちといったところでしょうか。またエーファの父親ポーグナーも、ヴァルターが資格試験に落ちたことを娘に隠し「うーん、わしも血のめぐりが悪くなったようだ」などと言を左右にします(第2幕第2場)。そしてザックスも、ヴァルターの歌を聴いてひどく興奮しているベックメッサーに対して、歌之掟から「判定役たるもの、愛憎にとらわれず、判定を下すべし」を引用して疑義をさしはさみます(第1幕第3場)。エーファの求婚者がエーファの恋人を裁くのですから、一見ザックスの主張は正当であるようにみえますが、それならば試験の「前」に申し出るべきだったでしょう。彼は言うべきときに言わず、頃合を見はからって、もっとも効果的なタイミングで個人攻撃に出たのです。ザックスの嘘はこれだけではありません。ベックメッサーに「窃盗」か「盗作」かの二者択一を迫る第3幕第3場、ザックスの嘘をどうかお楽しみに。
ものがたり
騎士ヴァルターはエーファが翌日の歌合戦で勝利者の花嫁となることを知り、
自分も歌の試験に挑むことを決意する。しかし、ヴァルターの歌を聴くとマイスター(名匠)たちは
口々にその不備を非難する。マイスターたちの音楽芸術には、代々伝わる厳格な規定が数多く存在するのである。ひとりザックスだけは彼の歌の新鮮さに心打たれ、その才能を認めるのだった。
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