ユーモアに富んだ風刺眼、そして対話のなかに確かな劇的効果を立ち上げる作劇姿勢で今最も注目を集める劇作家、永井愛。新国立劇場には、現代の家族を活写して話題を呼んだ『こんにちは、母さん』(2001年)に続いての登場です。今度はロシアの文豪サルティコフ・シチェドリン(1826-1889)の大作をもとに、初の翻訳物に挑みます。
舞台は19世紀末のロシア。道徳観と知的関心を失った地主一家「ゴロヴリョフ家の人々」の、崩壊し死に絶えてゆく壮絶な物語。原作のシチェドリンはロシア最大の風刺作家とも呼ばれ、現実生活を直視して真摯に描き、ロシア国内では今なお広く親しまれている作家です。農奴解放という時代の大きな流れのなか、必然的に滅びゆく一家の赤裸々なドラマが鋭く描かれます。
強欲な母親とその子供たちを中心に日々命がけで繰り広げる財産の争奪劇、そこに浮かび上がる醜悪な人間の姿に戦慄し、同時にその凄まじい滑稽さに笑い転げさせられたという永井は、卓越したストーリー展開の手腕でエピソードを凝縮し、惨憺たる顛末を一流の人生喜劇に仕立てます。救いようのない状況におかれた人々が得体の知れない恐れにとらわれ、己が執着だけに生きようとする葛藤のドラマは、現代にも通じる強烈な光を放つものとなるに違いありません。
モスクワから馬車で二晩かかる距離にある領地ゴロヴリョーヴォ。長男がモスクワで財産を使い果たしボロボロになって帰って来るという情報が、女地主アリーナの耳に入った。アリーナは怒りでおののいた。もうあの長男に分けてやるものなどこれっぽっちもない。亭主のウラジミールは今や隠居同然。アリーナは都会に出ている次男と三男を呼び寄せ、長男の処遇について家族会議を開く。結果、長男には父親の古着、家族の食べ残しの食料、そして離れの小部屋が与えられたが、これは幽閉同然の仕打ちである。次男のポルフィーリー(通称・ユダ)は、この顛末を不気味な笑みをたたえ見守っていた。長男は夜な夜な食堂に忍び込んで食料をあさり、ウォッカを飲む毎日。アルコール中毒になるのは時間の問題だった。そしてある寒い冬の夜・・・・・・。
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