2005年9月30日
◆「カルミナ・ブラーナ」について
◎最初この作品をどのようにつくろうかと様々に考えました。この作品はフォルトゥナの物語なので、女性のソロにしようか、そして彼女にハイヒールを履かせてしまおうか、あるいは運命の女神なのだから彼女に目隠しをさせてみようかetc.(写真a)
結果的には幕開きのシーンは、ハイヒールを履いて目隠しをした女性ダンサー一人だけに強いスポットライトを当て、彼女がとても難しいダンスを踊る振付をしました。
作曲したオルフはこの「カルミナ・ブラーナ」という音楽を「春」「居酒屋にて」「求愛」の3つのパートで構成しています。これらを通してオルフは“人”の様々な体験を網羅しています。私にとって大切なことは、この作品全体を一つの「糸」でつなぐことでした。
▲幕開き、世界を支配する | ▲神への祈りを拒否する7人の神学生たち<第2曲「運命は傷つける(Fortune plango vulnera)」より>(写真b)photo:Bill Cooper |
◎それであの3人の神学生のアイディアが生まれたのです。つまり信仰を放棄し俗世の快楽を体験した修道士によってこの「カルミナ・ブラーナ」の全ての歌・詩が書かれているということからこの3人の神学生のアイディアは生まれたのです。このアイディアによって私たちは“人が皆通る道”を体験することになるのです。(写真b)
▲神学生3が入り浸る売春宿の娼婦たち | ▲愛欲に溺れる神学生3と運命の |
◎私の作品の中の神学生それぞれの体験はオルフ作品を逆手に取ったものになっています。
たとえば、この私の作品の中では「求愛」の部分は売春宿になっています。オルフが考える求愛や騎士道精神といったものとは正反対なのです。(写真c)また「春」の部分では神学生は白い衣裳を身にまとい、美しいブロンドの純粋な女性と恋に落ちます。しかし、その女性は実は“純粋”ではないことがわかります。本当は、もっと危険な男性を彼女は求めているのです。
「丸焼きの白鳥 ローストスワン」は大食を意味しています。そこでシンプルに白鳥を単なる鳥として見せよう―ただし、ショーガールのように―しようと思いました。そして醜悪なジョージ・グロス的な人物<注:ジョージ・グロス=1893-1959年ベルリン・ダダを代表する風刺画家>が彼女を食べてしまいます。ここでは口で食べるということと性的に食べるという二つの意味合いがあります。
ですから白鳥は同時に大きな羽根を付けて踊るショーガールのようなダンサーでもあります。彼女は鳥の翼のような大きな羽の扇を持っています。最後には彼女は七面鳥のポーズを取って持ち上げられます。これはあたかも食べられるために飾りつけをされた七面鳥のような様子です。
神学生たちの中の三人目の神学生は自分の行動に苦しみます。人は堕落してしまった聖職者を見ると特別な関心抱くものです。そう、善良なはずの者が悪事を働くと、人は普通に増して大きな関心を持つようです。
それで、この三人目の神学生の苦悩がこの作品の核になっています。信仰と堕落との間のジレンマが表現されています。
しかし、最終的には道徳的な作品ではないでしょうか。なぜって、それぞれの神学生は結局は罰を受けるわけですからね。まぁ、1時間に渡りちょっと猥らな楽しみを体験した後ではありますが・・・。
▲フィナーレ<第24曲「たたえよ美しきものよ(Ave formosissima)」より> |