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<『白衛軍 The White Guard』スペシャルコラム①>帝国崩壊の大うず――『白衛軍』の時代背景
二十世紀ロシアを代表するウクライナ出身の作家、ブルガーコフ。1918年の革命直後のキーウを舞台に、時代に翻弄されるひとつの家族を描いた彼の代表作『白衛軍』が、12月3日(火)より新国立劇場 中劇場にて開幕します。
この『白衛軍』は、ブルガーコフの自伝的要素が色濃く反映された作品です。実際、彼も白衛軍に軍医として従軍し、作中と同じ、ロシア帝国崩壊後の激動の時代を生きました。
公演に先駆け、ブルガーコフと『白衛軍』の登場人物たちが生きた、混乱を極めた時代を、ロシアの近現代史を専門とする池田嘉郎氏(東京大学大学院 教授)が解説するスペシャルコラムを公開いたします!
短期間に様々な勢力が台頭する激動の時代をわかりやすく解説してくださっています。
観劇前後にぜひご一読ください!
★第2回:白衛軍という言葉の意味は?――トゥルビン家の人々の願ったこと
帝国崩壊の大うず──『白衛軍』の時代背景
池田嘉郎(東京大学大学院 教授)
『白衛軍』の人々は、おそろしい大うずの中で生きている。この大うずは、ロシア帝国が崩壊したことで起こった。ロシア帝国が崩壊した理由は二つあった。一つ目は、貧しい民衆と上流階層との格差が激し過ぎたことである。ちなみに主人公たち、つまり軍の士官は上流階層に属する。二つ目は、第一次世界大戦である。ロシア帝国はイギリスやフランスと組んで、ドイツやオーストリアと戦った。戦争はいつまでも終わらず、負担にたえかねた民衆は1917年2月に革命を起こした。皇帝ニコライ2世は退位し、300年以上続いたロマノフ朝は終わった。
だが、皇帝が去っても混乱は去らず、むしろ民衆と上流階層の争いは激しくなった。その結果、10月にもう一度革命が起こり、レーニンが率いるボリシェヴィキ(共産党)が権力をとった。レーニンは国の名前を「ソヴィエト・ロシア」とし(ソヴィエトとは民衆だけの議会のこと)、上流階層から工場や土地を奪う、社会主義政策を開始した。
ここまではロシアの首都ペトログラード(いまのサンクト=ペテルブルグ)の話であるが、『白衛軍』の舞台となるキエフ(キーウ)では事態はいっそう複雑だった。キエフを中心とするロシア帝国の西部には、主人公たちのようなロシア人も住んでいたが、ウクライナ人のほうがずっと多かった。長く国をもつことがなかったウクライナ人は、ニコライ2世が退位したのちキエフに自治政府をつくった。10月にソヴィエト・ロシア政権が成立すると、巻き込まれたくない自治政府は1918年1月、「ウクライナ人民共和国」をつくって独立した。ひとりだちするための十分な力はなかったので、「ウクライナ人民共和国」は1月にドイツ軍と講和を結び、その庇護下に入った(3月にはソヴィエト・ロシアもドイツ軍と講和する)。
「ウクライナ人民共和国」はキエフ侵攻を企むレーニン政府とは対立したものの、けっこう社会主義的なところがあって、農民や労働者の利害をできるだけ守ろうとした。ウクライナの軍人の中には、それではレーニンの政府と同じではないかといって、反発するものもいた。そうした軍人の指導者であるスコロパツキーが、ドイツ軍の支援を得て1918年4月にクーデターを起こした。彼は「コサックの首長」を意味するゲトマンを名乗り、武力によって農民や労働者の要求を抑えつけた(ここまでが本作の物語の前提である)。
ゲトマン政権を歓迎した人々の中に、本作の主人公たちもいた。彼らはロシア人の士官であり、「白衛軍」を名乗った。誇り高くロシア帝国を守ってきた彼らは、レーニンの革命にも「ウクライナ人民共和国」にもうんざりしていたのである。もっとも彼らはゲトマン政権のもとでも不安を抱えていただろう。ウクライナ農民をはじめとする民衆の方が、数でいえば自分たちよりもずっと多いことははっきりしていた。それにゲトマンの支配は、ドイツという外国(少し前までは敵国だったのだ)の力を借りてのみ、ようやく維持されていた。多分「白衛軍」の士官たちは最初から、自分たちの時代が終わりつつあることを予感していた。それだけにいっそう、彼らは家族や友人の絆、それに暖かな思い出の残る家を大事にしたのだ。
実際のところ、白衛軍に心の休まる暇はなかった。4月に倒された「ウクライナ人民共和国」の復活を目指すペトリューラの軍が、キエフに迫っていたのである。白衛軍にとってはペトリューラもレーニンも、民衆の力によって自分たちを押しつぶそうとする恐るべき敵であることに違いがなかった。戦況が厳しくなるなか、キエフを抜け出すものも現れた(第1幕)。
「白衛軍」の人々はみな、ゲトマン政権を死守する覚悟であった。だが、ゲトマンの支えのドイツは1918年秋、第一次世界大戦に敗北する。キエフを立ち去るドイツ軍とともに、ゲトマンもこっそりと脱出する。白衛軍を置き去りにして...(第2幕第1場)。ペトリューラの副官ボルボトゥンは着々とキエフに迫り(第2幕第2場)、白衛軍は悲劇的に解体してゆく(第3幕)。
こうしてペトリューラがキエフの新しい支配者になった。だが、その天下も長くは続かない。ソヴィエト・ロシアを率いるレーニンは、もともとロシア帝国の一部であったウクライナを、自分たちの支配下におこうとしたのである。レーニンの片腕であるトロツキーがつくった赤軍は、にわか仕立てのペトリューラ軍よりも強力であった。1919年1月から2月にかけて赤軍がキエフを攻略する。白衛軍(であった人々)には、なすすべもなかった(第4幕)。
赤軍が強いのには理由があった。旧ロシア軍にいた多くの有能な将校が、ロシア帝国の再統一を果たせるのはボリシェヴィキだけだと考えて、赤軍に協力したのである。もしかしたら白衛軍の人々も、次第に同じように考えるようになったかもしれない。いずれにしても彼らは苦しい経験の中で、上流階層が民衆を支配する時代が終わりを迎えたことを実感していたであろう。歴史の大うずの中で生き残った彼らは、戻ることのない過去、死んでいった人々への想いを胸に抱きながら、新しい生活に歩み出すことになるのである。
池田嘉郎プロフィール
1971年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。
主要著作に『ロシア革命─破局の8か月』(岩波新書、2017年)、『ロシアとは何ものかーー過去が貫く現在』(中公選書、2024年)、『山際永三 壁の果てのリアリズムーー映画運動と テレビドラマ』(森話社、2024年)、訳書に『幸福なモスクワ』(アンドレイ・プラトーノフ著、白水社、2023年)など。
●公演詳細はこちら
会場:新国立劇場 中劇場
上演期間:2024年12月3日(火)~22日(日)
S席 8,800円 A席 6,600円 B席 3,300円
作:ミハイル・ブルガーコフ
英語台本:アンドリュー・アプトン
翻訳:小田島創志
演出:上村聡史
出演:村井良大、前田亜季、上山竜治、大場泰正、大鷹明良/池岡亮介、石橋徹郎、内田健介、前田一世、小林大介/今國雅彦、山森大輔、西原やすあき、釆澤靖起、駒井健介/武田知久、草彅智文、笹原翔太、松尾諒
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