演劇公演関連ニュース
[レポート]『白衛軍 The White Guard』スペシャルトークイベント~ブルガーコフってどんな作家?~
ウクライナ出身のロシア人作家ミハイル・ブルガーコフの代表作で、自伝的要素を散りばめながらロシア革命に翻弄され、敗れ去っていく人々の姿を描いた『白衛軍 The White Guard』が新国立劇場にて12月より上演されます。10月20日に新国立劇場内にて「ブルガーコフってどんな作家?」と銘打って、演出の上村聡史と20世紀ロシア文学を専門とする大森雅子千葉大学大学院准教授によるスペシャルトークが開催されました。
取材・文:黒豆直樹
撮影:阿部章仁
上村 ロシアの戯曲というと日本ではチェーホフが上演されることが多いですが、2024年に新国立劇場でブルガーコフの『白衛軍』を上演すると聞いて、どんな印象を持たれましたか?
大森 ブルガーコフという作家は、日本では知られていないので、彼を取り上げるというのが驚きでした。さらに『白衛軍』はウクライナを舞台にした作品です。ロシア軍による侵攻で日本でもウクライナへの関心が寄せられるようになってきてはいますが、歴史を含め、まだ知られてないことが多く、そのあたりをテーマにした演劇をみなさんにどこまで理解していただけるのか? という不安はありました。
上村 今回『白衛軍 The White Guard』として上演しますが、もともとブルガーコフが自伝的な小説として執筆したのが『白衛軍』であり、それをブルガーコフ自らが戯曲化したのが『トゥルビン家の日々』となります。ロシアでは"第二の『かもめ』"と称されるほど人気があるそうですね?
大森 そうですね、ブルガーコフは生前、不遇な人生を歩んだ作家で、ほとんど作品は発表されなかったんですが、『白衛軍』を元にした『トゥルビン家の日々』は生前に上演された数少ない戯曲の1つで、ロシア本国ではいまでも人気があり、映画も作られています。
上村 代表作という意味では長編小説『巨匠とマルガリータ』が知られていて、この作品が彼に世界的な作家という評価や名声をもたらしたと言えますね。ヨーロッパでは演劇でも、『巨匠とマルガリータ』は、多くの演出家が小説を元に上演していますし、中編の『犬の心臓』もアレクサンドル・ラスカートフの作曲でオペラになったり、いろんな形で舞台芸術としても上演されています。今回、帝政ロシアの時代の物語ということで"キエフ"という呼称を使用させていただきますが、作家・ブルガーコフと当時のキエフについて、大森さんからご紹介いただきたいと思います。
ミハイル・ブルガーコフの生涯について
1891年 ウクライナのキエフに生まれる。父は神学校の教授、母は司祭の娘で、2人の弟、4人の妹がいた。
1916年 キエフ大学医学部を卒業後、医師として働き始める。
1917年 ロシア革命勃発
大森 ブルガーコフはキエフ大学の医学部出身で、医学部卒という点ではチェーホフと同じ(モスクワ大学医学部出身)ですね。卒業後は、医師として働いており、ロシア革命が勃発した際も医師として働いており、1918年にはキエフに戻り開業しました。
この時期のキエフは、革命後に内戦状態に陥り、白軍、赤軍、ウクライナ人民共和国軍の三つ巴の戦いが繰り広げられている混沌とした状況でした。当初、白軍の軍医として従軍し、その後は意に反して赤軍やウクライナ人民共和国軍の軍医としても動員されています。1919年に白軍と共に北コーカサス地方に入り、ウラジカフカスの劇場で、初めて執筆した戯曲が上演され、好評を得ます。そこで医師ではなく作家として生きていく決意を固めます。
1921年 モスクワに上京
1922年 新聞社や雑誌の編集に携わりながら、徐々に作家活動を開始。
1924年 長編小説『白衛軍』の第1部を雑誌『ロシア』で発表。(1925年に第2部が発表されるが、雑誌が廃刊し、第3部は国内で発表されず、小説全編はパリの出版社から発表された)。
1926年 小説『白衛軍』を元にした戯曲『トゥルビン家の日々』が1926年にモスクワ芸術座で上演され"第2の『かもめ』"と言われ、大成功をおさめる。
大森 この上演で注目を浴びますが、2年後の1928年頃からブルガーコフに対する批判が激化していきます。特に『トゥルビン家の日々』において、(ソヴィエトにとって)敵軍である白軍を同情的に描いていることが当局は不満でしたし、論壇も反応します。そこから徐々に彼の運命が傾いていきますが、この時期に幻想小説である『巨匠とマルガリータ』の執筆を始め、死の1か月前まで推敲が続けられていくことになります。
そして、翌1929年、ブルガーコフの全ての戯曲が上演禁止となります。1930年3月にブルガーコフはソヴィエト政府に手紙を送ります。自分の作品は活字にならないし、戯曲もどの劇場でも上演できず、このままでは「生きたまま墓に葬られたのと同じ」と訴え、出国の許可を求め、それが許されないならモスクワ芸術座で演出助手、それがかなわないなら大道具係でいいから働きたいと。
すると4月にスターリンから直接電話があり、希望通りモスクワ芸術座で演出助手として働けると約束され、さらに5月にはモスクワ芸術座の依頼でゴーゴリ原作の『死せる魂』の戯曲を執筆し始めます(1932年に初演)。
1932年には、上演禁止だった『トゥルビン家の人々』が再演されます。そこにはスターリンの意向が反映されています。スターリンは同作を非常に気に入っており、十数回見に行ったというエピソードも残っています。
1930年代、ブルガーコフは戯曲やオペラの執筆に取り組むもいずれも上演には至らず、不遇なまま1940年に腎臓硬化症により48歳で亡くなります。生前は不遇でしたが、死後26年を経て、1966年から67年にかけて『巨匠とマルガリータ』が『モスクワ』誌に発表され、たちまち世界各国語に訳され熱狂的に受け入れられました。
『白衛軍』『トゥルビン家の日々』の時代背景
大森 1917年3月に二月革命が勃発し、キエフでは1917年から1920年の間で、14回もの権力交替が起こったと言われています。1918年12月に、それまで白衛軍を支援していたドイツ軍によるウクライナ傀儡政権の元首ゲトマンがドイツに逃亡します。その時期から今回の戯曲の物語が始まり、ペトリューラ率いるウクライナ人民共和国軍による占領が始まる直前から、1919年2月に赤軍によってキエフが占領されるまでの約3か月間の出来事が描かれます。
トゥルビンという姓は、ブルガーコフの母方の祖母の旧姓であり、『トゥルビン家の日々』での主人公アレクセイ(アプトン版での主人公は、アレクセイの弟ニコライ)のモデルがブルガーコフ本人であると言われています。また小説『白衛軍』に"アレクセイ坂のアパートメント"というのが出てきますが、それはブルガーコフの自宅(アンドレイ坂のアパートメント)で、現在はブルガーコフ文学記念博物館となっています。
上村 戯曲では主な舞台はトゥルビン家の住まいですが、他に宮殿の一室、ペトリューラ軍のアジト、戦場の場面が描かれる学校の4つの場所が出てきます。
ブルガーコフの作品の中でも、最も自身の経験を引っ張り込んだ作品となっています。
大森 そうですね。ブルガーコフ自身、『トゥルビン家の日々』の基になった『白衛軍』のことを「一番好きな作品」と言っています。
ブルガーコフは「ウクライナ嫌いの作家」なのか? 故郷・ウクライナにおけるブルガーコフの評価
上村 ブルガーコフは青年期までキエフで過ごしていますが、ウクライナ語では作品は発表していないんですよね?
大森 そうですね。ロシア語作家としてロシア語で発表しています。「ウクライナ出身」ではありますが「ロシア人」と考えていただいてよいと思います。
上村 大森さんは、「ブルガーコフはウクライナ嫌いの作家か?」というテーマで論文を書かれています。非常にデリケートな問題ではあるかもしれませんが、ウクライナにおけるブルガーコフの評価について教えてください。
大森 2022年のロシア軍によるウクライナ侵攻以降、ウクライナではブルガーコフの評価が変わって来ている部分があります。
ブルガーコフは『白衛軍』の中で、敵軍のペトリューラ軍のことをかなり否定的に描いています。ペトリューラはウクライナの民族運動を率いた、ウクライナにとっては英雄の民族主義者です。それを悪く書いていることで、ブルガーコフを「帝国主義者」とみなす声や、「ウクライナ文化を軽蔑していたウクライナ嫌いの作家である」と言う声もあります。キエフには「ブルガーコフ文学記念博物館」がありますが、閉館の危機に追い込まれたりもしています。
彼がウクライナ嫌いかどうかに関して言うと、今回、使用される上演台本であるアンドリュー・アプトン版(英語)の戯曲では、横暴なペトリューラ軍の兵士が登場しますが、登場人物がウクライナ文化を貶すという描写はそこまで出てきません。
ただ、小説『白衛軍』では露骨にウクライナ批判をしている場面があります。小説の中で、ゲトマンというドイツ軍による傀儡政権の元首が出てきますが、白衛軍は彼らと一緒に戦っていました。このゲトマンですが、ウクライナ・コサックの末裔で、"ウクライナ化政策"を掲げました。アプトン版の戯曲では、ゲトマンが白衛軍の兵士にウクライナ語で話すことを押し付け、それに対して白衛軍の兵士が批判的に受け止めている様子が描かれています。
(小説の中の)白衛軍の兵士たちとそれを書いた作家のブルガーコフを短絡的に結び付けて、「ブルガーコフがウクライナを悪く言っている」と捉えてしまうことで、「ウクライナ嫌いの作家」という解釈が生まれてしまったわけです。きちんと作品を読めば(そうではないと)理解できる部分ではありますが、自伝的小説であることもあって、主人公たちの言葉とブルガーコフの考えをリンクさせてしまい、「ブルガーコフはウクライナを貶している」という解釈に至ってしまったのだと思います。
上村 いろんな資料に目を通すと、果たして真実はそこにあるのか? 短絡的に結び付けられがちなのではないか? と感じます。背景にスターリンの存在――スターリンの真意がどこにあったのかという部分も含めて、ブルガーコフの評価についてクエスチョンが付く考察もときに見かける印象があります。
余談ですが15年ほど前に英国で上演された『Collaborators』というジョン・ホッジの作品がありますが、史実ではスターリンとブルガーコフは電話で話しただけで、会ったことはないとされていますが、この戯曲では、あえて2人が会うんです。そこでスターリンが劇作をしたいと言い出し、ブルガーコフが教えるんですが、2人の思考が合わず、最終的にブルガーコフは、ストレスにより腎臓硬化症で死ぬという、そこだけ史実通りなんですが(笑)。それくらいブルガーコフとスターリンの関係性って僕らの想像の及ばない部分もあり、芸術と権力のありように揉まれた作家なんだなと思います。
大森 ブルガーコフはキエフ出身の作家であり、ウクライナ語も解し、ウクライナ文化にも興味を持っていたと彼の妹が回想録に書いています。だから愛郷心はあったはずで、キエフを愛していた作家です。そんな彼が「ウクライナ嫌いだ」という言説は疑ったほうがいいと思います。
幻想小説の作家・ブルガーコフ ロシアで人気の秘密は?
上村 ブルガーコフの作品の特徴として、僕の印象ではいろんなタイプの作品があって、『白衛軍』のような自伝的なものもあれば、『逃亡』のようなリアリズムタッチの作品もあり、そうかと思えば『犬の心臓』のように、痛烈な皮肉を込めたり、悲劇と喜劇を混在させたり、本当に様々なタイプの書いているなと思います。
大森 リアリスティックな作品を書いた一方で、やはり幻想小説やSF小説を得意としていて、リアリスティックな小説に"夢"という要素を忍び込ませたり、リアリスティックな戯曲のト書きに「突然現れた」「突然消えた」といった幻想的な手法が込められたりしているんですね。その意味で、彼の根底には幻想的なものへの関心が非常に強くあり、そこに軸足を置いていたと思います。
上村 だからこそ舞台芸術の題材になりやすいのかなと思います。その中でもちょっと毛色が違う、より自伝的な要素を強く反映したのが『白衛軍』なんですが、この小説を読むと、舞台での上演を前提に、小説から、よくこういうまとめ方をしたなと思います。本国ロシアでは人気ですが、なぜソ連時代に帝国ロシアを描いたこの作品がそこまでの人気を得たのでしょうか?
大森 タイトルにある白衛軍は、赤軍と戦い、負けていった歴史の遺物と言えますが、そうした歴史的な背景とは別の、ブルガーコフの独特の面白さとして、喜劇的な要素が随所に散りばめられているんですね。戦争を描いた作品なので、もちろん悲劇的要素も多く、人間の死や暴力、文化の破壊といったシリアスなテーマが扱われてはいますが、その中で健気に生きている人々――しかも敗者であることが決定づけられている貴族階級の人々が、頑張って生きている姿が、非常にコミカルに描かれているんですね
赤か白かといった政治的信条はひとまず置いといて、純粋に演劇として完成度が高いという点で評価され、そして愛されている部分が大きいと思います。
上村 背景や思想は置いといて、真摯に時代のうねりの中を生きている部分がお客さんにも伝わったんですね。
大森 もちろん、ブルガーコフが全くのニュートラルな立場にあったというわけではなく、白衛軍に同情的な立場であったことは事実だと思います。ただ、そこから創作をするにあたっては、白軍、赤軍どちらかを悪く書こうとしたわけではなく、冷静な態度で書こうとしたとブルガーコフは言っています。でも、当時の文壇はそれをくみ取ってくれず、批判を受けることになりました。ブルガーコフのこの俯瞰的な視点――この悲劇的な状況において"中"にいたらそれは悲劇に他ならないですが、少し高い視点から見渡してみると、それは悲劇でもあるし、喜劇でもあるとも読みとれます。
上村 ブルガーコフの作品全体に通底していることは、そこに尽きると思います。こうした点は含めて、複雑で難しいと思われるかもしれませんが、広い視点で捉えられる作品に仕上げたいと思っていますし、台本の時点でそうなっていますので、ぜひご期待いただければと思います。
なぜロシア語を訳したものではなく、アプトンによる英語版を使用するのか?
上村 今回の上演台本はアンドリュー・アプトンの手でリライトされた英語台本で、2010年に英国のナショナル・シアターで上演された際のものを日本語に翻訳(翻訳:小田島創志)したものになります。アプトンはオーストラリアの作家で、女優のケイト・ブランシェットのパートナーでもあります。
大森 こちらはブルガーコフによる『トゥルビン家の日々』のテクストに基づいているものという解釈でよろしいでしょうか?
上村 ほぼ(オリジナルと)同じですね。セリフのニュアンスなど細かい部分で変更がなされていますが。アプトン版を使うという判断したのは僕です。この点について、なぜ、いまの時代に日本でこの複雑な状況を描く作品を上演しようと思ったのか? というところからお話ししたいと思います。
僕は29歳から30歳にかけて、イギリスに留学していた際に、ナショナル・シアターで上演されたこの作品を観劇しました。僕自身、不勉強で、そこで初めて「ブルガーコフって戯曲も書くんだ?」と知ったくらいだったんですが、チラシのビジュアルは軍人がメインの硬い雰囲気で「きっと硬い芝居なんだろう」と思っていたら、すごく笑える部分もあって、登場人物たちが活き活きとしていたんですね。導入部分でも、音楽を交えて、登場人物たちが歌い、仲良く飲んでいて、「なんでこんなに活き活きと演じているんだろう?」と思っていたら、戦場のシーンになり、「こんな流れになるのか...」と驚かされ、最後は軍人たちが軍服を着てなくて、喪失感と解放感が混在している。不思議な観後感でした。
この物語は白軍を肩入れしているわけでも、赤軍に肩入れしているわけでもないし、民族を称えているわけでもない――ただ人間を実直に見つめている作品だと感じました。
日本に帰国して、ブルガーコフなら日本語の翻訳があるだろうと探したんですけど、全然見つけられなくて、そこで改題されていることを知りました。実際に訳されたものを読んでみて、こんなに複雑な物語だったのか! と思いつつ、絶対に難しいけど、日本で上演しても面白くなると感じ、いろんなプロダクションに売り込みました。でも登場人数は多いし、衣裳の予算もすごいことになるということで、断られてしまい...(苦笑)、おそらく上演は難しいだろうと思っていました。
その後、2022年に読売演劇大賞の最優秀演出家賞をいただきまして、2月25日に授賞式に登壇していたんですが、まさにその前日2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻し、授賞式の壇上に立ちながら「自分はいま何をやってるんだろう?」と思ったんですね。時計の針を逆戻しにしたような出来事が起きていて、いままで先人の演劇人たちが演劇を通して伝えてきたことは一体何だったんだ...? と悔しさを感じたり。
当時はコロナ禍で、パーティもなく、家に帰ったんですが、なかなか寝付けず...。実は今回の2024年12月は既に別の演目が決まっていたんですけど、その夜、小川絵梨子芸術監督に「演目を変えたいです。『白衛軍』にしたいんです」と連絡しました。そうしたら小川さんが「いいよ」と(笑)。もちろん、台本や企画書に目を通してもらったうえでOKを頂きました。
こういう複雑な作品で日本人にはなかなか難しいかもしれないけど、例えば、(ウクライナ侵攻は)いまの物価の高騰などとも切り離せないところがあったり、決して遠い国で起きている戦争に僕らが全く関与していないということはない――どこかで繋がっていると思っています。演劇は、いろんな楽しみ方があっていいし、娯楽であっていいけど、僕は少しでも作品を見たお客さんが、100分の1、1000分の1でいいから価値観が広がるようなこと――「こういう物語、歴史があって、いま僕らが生きるために昔の人たちが頑張ったんだ」といったことを舞台芸術を通して想像できたらという思いがあり、今回『白衛軍』を上演することを決意しました。
大森 今回、アプトン版の台本を使用されるということに関しては、ロシア文学を翻訳する立場の人間としては、ロシア語から日本語に翻訳するのが当然という先入観もあり、当初は「なぜ?」というのは率直に思いました(笑)。ただ、これまで先輩方が『トゥルビン家の人々』をロシア語から日本語にした素晴らしい翻訳があるんですが、それをそのまま上演するのは無理があるとは前々から思っていました。ブルガーコフはあくまでもロシア語がわかる読者に向けて戯曲を書いているので、ロシア文学からの様々な引用などもあり、前提の知識がないと楽しめない部分も多くあります。
アプトンによるリライトでは、そうした部分がすべて消えているわけではなく、チェーホフからの引用があったりして、しかも、それがとってつけたようでもなく、すごく自然体で、オマージュが感じられる非常に良いアダプテーションになっていると思いました。
おそらくロシア語からの翻訳よりも、ブルガーコフの面白さというのが日本の観客により伝わりやすい台本になっているのではないかと思いました。
上村 『トゥルビン家の日々』も、検閲により様々な変更が余儀なくされ、いろんなバージョンのものがあるんですが、ブルガーコフが書いたものはキエフをとても愛しているのが伝わってくるんですよね。印象的なのが、弟のニコライのギターが随所に入って、最後もニコライのギターで終わる。失われていく故郷を俯瞰して捉えていて、ノスタルジックにまとめられた感じがありました。
ただ、いま、この作品を日本で上演するならば、先ほどもお話ししたように、100年前に起きたことが、現代と地続きになっているということをより狙って見せたいと思いました。
ブルガーコフによる戯曲でそれができないわけではないんですが、台本の段階で現代での上演意図が組み込まれているアンドリュー・アプトンによるバージョンのほうが、いま上演するのに意味があると。先ほど話したチェーホフの引用であったり、楽しい部分と、胸に迫ってくるようなシリアスな部分のバランスの緩急が、いまのお客さんに向けているなと思ったので、今回はアプトン版を使用することに決めました。
今回、文化庁の支援を受けまして、人数に限りはありますが、小学生~18歳以下のお子様を無料でご招待するというプログラムもございます。こういう作品を観る機会はなかなかないと思いますし、今後、長く心に残る作品になっていくのではないかと思いますので、ぜひご利用いただければと思います。
イベント全編をおさめた動画も公開中!
プロフィール
上村聡史 (かみむら・さとし)◎演出/新国立劇場 演劇芸術参与
2006年 文学座座員となり、18年に同劇団を退座。現在は新国立劇場演劇芸術参与。09年より文化庁新進芸術家海外留学制度において1年間イギリス・ドイツに留学。第22回・第29回読売演劇大賞最優秀演出家賞、第17回千田是也賞、第56回紀伊國屋演劇賞を受賞。24年9月より新国立劇場演劇芸術参与に就任。
近年の主な演出作品に、『夜は昼の母』『My Boy Jack』『野鴨-Vildanden-』『ガラスの動物園』『森 フォレ』『Oslo(オスロ)』など。新国立劇場では、『デカローグ』『エンジェルス・イン・アメリカ』『斬られの仙太』『オレステイア』『城塞』『アルトナの幽閉者』を演出。
大森雅子 (おおもり・まさこ)◎千葉大学大学院 准教授
千葉大学大学院人文科学研究院准教授。専門は20 世紀ロシア文学・文化。著書に『時空間を打破する――ミハイル・ブルガーコフ論』(成文社、2014年)、論文に「ブルガーコフは「ウクライナ嫌い」の作家か」(『三田文學』152号、2023年)などがある。そのほか、訳書に『ウクライナの大作家 ミハイル・ブルガーコフ作品集 権力への諧謔』(文化科学高等研究院出版局、宮澤淳一、杉谷倫枝と共訳、2022年)、『新装版ブルガーコフ戯曲集 1・2』(東洋書店新社、村田真一監訳、秋月準也、佐藤貴之と共訳、2017年)などがある。
『白衛軍 The White Guard』公演情報
会場:新国立劇場 中劇場
上演期間:2024年12月3日(火)~22日(日)
S席 8,800円 A席 6,600円 B席 3,300円
作:ミハイル・ブルガーコフ
英語台本:アンドリュー・アプトン
翻訳:小田島創志
演出:上村聡史
出演:村井良大、前田亜季、上山竜治、大場泰正、大鷹明良/池岡亮介、石橋徹郎、内田健介、前田一世、小林大介/今國雅彦、山森大輔、西原やすあき、釆澤靖起、駒井健介/武田知久、草彅智文、笹原翔太、松尾諒
- 新国立劇場HOME
- 演劇公演関連ニュース
-
[レポート]『白衛軍 The White Guard』スペシャルトークイベント~ブルガーコフってどんな作家?~