演劇公演関連ニュース

『ロビー・ヒーロー』演出・桑原裕子、インタビュー

桑原氏web_撮影重松美佐.jpg

SNSが席巻する時代に、あらためて「対話」や「議論」、「言葉」のあり方を問う、シリーズ「声 議論, 正論, 極論, 批判, 対話...の物語」。その第2弾では、ケネス・ロナーガンの『ロビー・ヒーロー』を、新国立劇場初登場となる桑原裕子が演出する。マンションのロビーで働くうだつのあがらない警備員とその黒人上司、周辺をパトロールする男女の警官コンビ。人種やジェンダー、キャリアや生まれ育った階層など、現代社会に張り巡らされたさまざまな差別の構造を背景に、彼らが織りなす人間模様は─。「正義」をめぐる、一筋縄ではいかないドラマに取り組む心構えを聞いた。

インタビュアー:鈴木理映子 (演劇ライター)




世の中、善悪で分けられない

だから人間は面白い



─桑原さんは、新国立劇場には初登場です。今回この『ロビー・ヒーロー』の演出を担うことになった経緯をおうかがいできますか。

桑原 「桑原さんにどうかなという本があるんだけど、よかったらやってみませんか」とお声がけいただいたのが昨年のことで、まだ粗訳の状態だったんですが、読んで、「これはぜひ」とお返事しました。芸術監督の小川(絵梨子)さんが、このシリーズ、この作品で私の名前を挙げてくださったことが嬉しかったです。というのも、この物語は、何が正義かということに関して、すごく迷っている人のお話なんです。私自身も脚本を書く時には、常々、清濁混交といいますか、正しいことと間違っていることの狭間に興味を持っていますし、そういった問題を「議論」としてではなく、日常生活の「対話」から描いていくところ、また、そこでの人間の描かれ方に共感するところがたくさんありました。出てくる人たちも成功者ではなく、みんなが何者かになりたい、何かができるんじゃないかと思っていながらも、そこに辿り着けないでいる人たちで、それも、まさしく私が描きたいものと響き合っているように思えたんです。


─この物語の背景には、人種やジェンダーをはじめとする社会構造がはっきりと置かれています。ただ、戯曲を読み進めていくと、浮かび上がってくるのは、差別の問題そのものというよりは、「そうはいっても」利己的に振る舞ってしまったり、うまく物事を運べなかったりする人々の姿の方だという気がします。

桑原 これは、「正義を追い求める物語」ではないんですよね。私が本を書く時にも読む時にも、すごく好きだなと感じている人間の生理は「常に気が散っている」ということです。人って、気が散っているんです。悲しい時に悲しみきれなかったり、大事な仕事の話をしているのに彼氏のことを考えちゃったり。この主人公の青年、ジェフは特にそうで、警官のドーンのことを口説きたい、真面目に仕事をしよう、夜勤が眠い......と、常に散漫(笑)。そういう散漫さから、利己的な部分が意図せず飛び出してきてしまう。どれだけ、正しい道を進もうと思っても、人間は脇道にそれるもので、そのことが物語をあらぬ方向に進めていってしまったりもする。そんな右往左往する人間の面白さを楽しんでもらいたいとも思っています。


―確かに、人間の考えは一色に染められるものではないし、本当のところ何を考えているかは、傍目にはわからないものです。

桑原 私自身、繰り返し読んでいるうちに、出てくる四人全員に共感できたんですよね。たとえば、女性を裏切るマッチョなベテラン警官・ビルにしても、どこかに純粋な善意があって、人の役に立とうとして行動しているところはあるんです。世の中、勧善懲悪ではないですから。善悪で分けられない、正解が見えない苦しさもありますけど、だから人間は面白い。もしかすると、劇場で観た人物の印象と、あとあと思い返してみた印象が違うものになることもあるかもしれません。これは私自身の作劇の反省でもあるんですけど、「見終わったあとに、もっとモヤモヤして気持ち悪い感じで帰ることになってもいいんじゃない?」と思うんですよね。テレビドラマなんかは特にそうですけど、「この人を(正しさの)軸に見るんだよ」っていうガイドラインをつくりすぎている。でも、演劇にはまだ、モヤモヤした気持ち悪さを許容するフィールドが残されていると思います。



面白い本だけに俳優の技量は必要

四人で一緒に試行錯誤していきたい


―警官と黒人による犯罪との関係など、現代のアメリカ社会や文化が色濃く投影された課題も物語の前提として登場しますよね。それらをどう伝えるか。「翻訳劇」ならではの難しさもありそうです。

桑原 ジェフの上司のウィリアムは黒人ですが、演じる俳優の見かけをそう見えるように近づけよう、といったことは考えていません。もちろん、人種差別の問題は全体に通底するテーマのひとつですし、日本で日本人だけでこの戯曲を演じることによって、そのメッセージが表立っては見えづらくなってしまうことはあるのかもしれません。ただそのぶん、「何が正義か」をめぐる価値観や倫理観の違いといった側面を前に出しやすいという気もしています。

 今の日本には、何が正義かを声高に叫び、ぶつかり合って、かえって分断を生み出してしまうような風潮がありますよね。特にコロナ禍では何が正しいのか、政治や感染対策についてもみんな必死に情報を集めているぶん、相反する意見を受容できずに賛否を主張し合うようなことも多くなっています。人種やジェンダーをはじめ、価値観をアップデートしなくてはならない中で、「正しさを見極めなきゃいけない」というプレッシャーも高まり、本来はゆっくり自分で考えなければいけないテーマも「論破」の材料にしてしまったり、とにかく「わかっている」ということを主張したくなってしまっている。自分で自分を肯定できないからこそ、承認欲求が高まっている部分も大きいのかもしれません。だけど、実際には、正解なんてわからないことがほとんどで、その場で決着をつけなければいけない問題ばかりでもないですから。私は、登場人物一人ひとりが、思い思いの正義、倫理観、価値観に向き合っているということ自体に、この作品を今上演する意味を感じています。


―舞台は全幕を通じて、マンションのロビーに設定されていて、観客はそこに出入りする四人の登場人物の対話を通じ、この世界の「正義」の多面性と複雑さを体感していくことになります。

桑原 ジェフを演じる中村蒼さんとは、私が俳優として共演したことがあって。二枚目で芝居も軸がしっかりあるんですけど、笑い上戸で面白いことを見逃せない。観察者としてその場を楽しんでいるようなところ、ユーモアや愛嬌が、ジェフと通じると思います。ドーン役の岡本玲さんは、男社会に負けない勝ち気さと、感情的で未成熟な女子らしさを併せ持ったこの役が似合うと思いますし、ウィリアム役の板橋駿谷さんも無骨ながら繊細なイメージがぴったりです。また、瑞木健太郎さんは、以前にも演出させていただいたことがあるんですが、堂々とした佇まいにもどこか抜けたところがあって。瑞木さんのビルなら、ただの嫌なイケメンじゃなく、複雑さを持った人物になると思いました。

 すごく面白い本だけに、俳優の技量は必要です。四人だけでどれだけ場の空気を動かし、楽しんでもらえるか。出演者が少ないぶん、遠回りができる時間もとれると思うので、四人で一緒に試行錯誤していきたいです。舞台となる場所はロビーの内と外だけですが、マンハッタンの通りからちっぽけなロビーを見ている時と、ロビーの側から外の世界を見ている時とでは、持っている視点、目線が異なると思います。そんな変化、多面性も見せられるといいですね。



新国立劇場・情報誌 ジ・アトレ 3月号掲載

<くわばら ゆうこ>

劇団KAKUTA主宰、俳優・劇作・演出を務める。近年の出演作として、『徒花に水やり』『シブヤデアイマショウ』『忘れてもらえないの歌』『俺節』『ペール・ギュント』などがある。俳優業のほかに、テレビ、ラジオ、映画の脚本、舞台への作・演出など、多方面で活躍の場を拡げている。2007年KAKUTA『甘い丘』で、09年に第64回文化庁芸術祭・芸術祭新人賞(脚本・演出)受賞。15年『痕跡』で第18回鶴屋南北戯曲賞受賞。18年『荒れ野』が第5回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞、19年第70回読売文学賞戯曲・シナリオ賞受賞。また、劇団作品『ひとよ』が白石和彌監督で映画化された。18年穂の国とよはし芸術劇場PLAT芸術文化アドバイザーに就任。



***********************


『ロビー・ヒーロー』

会場:新国立劇場・小劇場

上演期間:2022年5月6日(金)~22日(日)
(プレビュー公演:2022年5月1日[日]・2日[月])

作:ケネス・ロナーガン
翻訳:浦辺千鶴
演出:桑原裕子

出演:中村 蒼 岡本 玲 板橋駿谷 瑞木健太郎



公演詳細はこちら

◆チケットのお買い求めは......

⇒ ボックスオフィス 03-5352-9999

⇒ Webボックスオフィスはこちら

関連リンク
「シリーズ 声」演劇3作品通し券 のご案内

2022年4月~6月に上演される3作品を同時購入でお得にお買い求めいただけます。

・4月公演『アンチポデス』(作:アニー・ベイカー 翻訳:小田島創志 演出:小川絵梨子)
・5月公演『ロビー・ヒーロー』(作:ケネス・ロナーガン 翻訳:浦辺千鶴 演出:桑原裕子
・6月公演『貴婦人の来訪』(作:フリードリヒ・デュレンマット 翻訳:小山ゆうな 演出:五戸真理枝

20,700円(正価 23,100円のところ、10%OFF) 購入特典として「プラスワンチケット10%割引きクーポン」をもれなくプレゼント!

詳細はこちら