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【インタビュー】『ピーター・グライムズ』指揮 大野和士に聞く

大野和士

ブリテンの《ピーター・グライムズ》は、社会から疎外された漁師の物語である。では、孤独な主人公と、彼を取り巻く村の人々のどちらが狂っているのか? 指揮者の大野和士が語るこのオペラには、そんな問いが浮かび上がってくる。今年11〜12月に新国立劇場で上演されるのに先駆けて、このオペラの魅力をうかがった。まずは、ブリテンにも影響を与えたベルクの《ヴォツェック》の話題からだ。


聞き手・構成●小室敬幸 〈音楽ライター〉


2025年11月 アルバン・ベルク『ヴォツェック』を振り返って


――最初は2025年11月に上演された《ヴォツェック》を振り返らせてください。タイトルロールのマイヤーさんが降板し、少し後に亡くなられてしまったのは非常に残念でしたが、代わって歌われた駒田敏章さんは大評判でした。


大野 私たちを救ってくれた駒田さんは、本当に恩人です。あの役を全曲通して歌ったことによって、彼自身もとても成長してくれました。マイヤーさんはこの役を20年以上に亘って何度もおやりになっていた人です。駒田さんはそのリハーサルをずっと見ていたんです。巨匠のリハーサルを毎日のように見ながら、「なるほど、なるほど」と、成長していってくれたのではないでしょうか。

私たちもマイヤーさんからいろいろなものをいただいたし、マイヤーさんがいない時には、彼のことを思いながら演奏しました。そういう「人を思う」気持ちが、《ヴォツェック》のような作品には大きな影響を及ぼす。私自身、いろいろなことを感じましたね。


『ヴォツェック』トーマス・ヨハネス・マイヤー
『ヴォツェック』駒田敏章

――オペラハウスは、ただ作品を上演するだけでなく、経験が積み重なり、受け継がれていく場でもあるということですね。


大野 マイヤーさんの一挙手一投足、そして彼のドイツ語を通じて滲み出すように響いてくるヴォツェックの内的な苦しみや痛みは、もう彼と完全に一体化していました。それがオーケストラにも伝わってくるんです。私はそれを聴きながら、オーケストラの音も聴く。そこにジェニファー・デイヴィスさんが演じるマリーが加わると、オーケストラの音がどんどん変わっていく。これが《ヴォツェック》のような人の内面を掘り下げていく劇では、非常に重要な要素なのだと改めて思いました。


――都響も歌手と一緒にヴォツェックやマリーという役を演じているように感じました。リチャード・ジョーンズによる演出も忘れられません。音楽の円環的な構造が、あのような結末につながるとは......。


大野 マリーのもとで泣いていた子どももまた、軍服を着て一生を送ることになる。この子もヴォツェックと同じような人生を過ごしていくのだろうと思わせる終わり方です。ジョーンズの読みはすごく深いと思いましたね。


――遺された子どもが幸せになる可能性さえ閉ざされてしまうようで、より胸が締め付けられました。


大野 ベルク自身は社会の底辺にいたわけではありません。でも、その彼が徴兵されて図らずも第一次世界大戦を経験するわけです。前線に配備されたわけではなかったようですが、人を殺すという感覚もなく、機械的な新しい武器を発明して人に向けていく――その残酷さですよね――、「人間的」という言葉をまったく置き去りにしなければ考えられない戦争を体験しながら、あの《ヴォツェック》に行き着く。

ヴォツェックこそ、本当に「人間の中の人間」といえる感受性を持った人です。痛みを深く感じるし、嫉妬もほとばしるように表現する。貧困の中にあっても、感情を失うことなく、その真実を語る人なんです。そしてベルク自身もそれを同じように感じることができた。あの作品の中には、そういう素晴らしい感受性が二重で存在しているのだと思います。



『ヴォツェック』から『ピーター・グライムズ』へ


――貧困や、社会からの疎外というテーマは、ブリテンの《ピーター・グライムズ》にもつながります。ただしヴォツェックとグライムズは、社会的に弱い立場にある男性という共通点があっても、そのキャラクターはかなり違いますね。


大野 ピーター・グライムズは完全に社会ののけ者で、私たちの前にはいつも、周囲の社会に属さない孤独なひとりの人間として現れます。何ともいえない深い孤独を感じながら、少年に海との付き合い方を教える。でも、その少年が覚えていくのを見ながら、自分の満たされない気持ちを少年に向けるので、傷つけてしまう。膿んだ傷を絞り立てるような人付き合いしか知らないという大変際立った人物像です。

孤独の悲哀に苛まれているグライムズの純粋さや、純粋であるがゆえに壊れやすい心情にブリテンは感情移入するんですね。そこがベルクと共通しています。どちらのオペラもそうした感受性を持った作曲家が書いた、疎外の中で自分を捨てざるを得なかったひとりの人間のオペラではないかと私は思っています。


――ブリテンは、性的指向や兵役拒否などの観点からいえば、社会のなかでマイノリティ側でしたよね。にもかかわらず、同じマイノリティ側であるグライムズにとって救いのない結末をむかえる物語を選んだことに興味を惹かれます。


大野 そうですね。当時のブリテンは自身のパーソナリティからして、正面から向き合って社会と付き合える人ではなかったですし、それゆえ彼自身が味わわされたものがあるわけです。だから自分が存在できる小さな空間にじっと身を置き、その中でいろいろなことを熟考するのが彼の生きる道だった。周りからはいろいろな騒ぎが聞こえるけれど、自分を囲む枠から出ていく必然性を、最終的には感じていなかった。それが彼の防御策でもあり、自分から積極的に外の世界へ目を向けることはありませんでした。でもだからこそグライムズほどの純粋さ――しかもある意味では非常に独りよがりな純粋さが、作品としてあらわれました。信じられないような作品だと思います。

もう一方で面白いのは、圧倒的な疎外感を内面に刻み込まれた主人公とは別に、町へ行けば大勢の人たちが夜な夜な酒を飲んで騒いでいる。ところが、ひとりひとりを見てみると、この人たちの方がグライムズよりも遥かに狂っている――この対比なんです! 人間を観察し、音楽でそれを描く。ブリテンの才能と感受性は、信じられないほど素晴らしいと思いますね。オーケストラや合唱も含め、狂乱にひしめき合う町の人たちすべてを自分たちが背負っているんだ、というような思いで会場に来てくださると、とても嬉しいです。


2023年ミラノ・スカラ座公演より Photo: Brescia and Amisano ©Teatro alla Scala

グライムズを取り巻く人々


――グライムズを取り巻く人物では、誰に注目されますか?


大野 傷つきやすく孤独なグライムズの本質を理解できたエレン・オーフォードは、非常に人間的かつ、純粋で優しい女性です。ところがグライムズは、生まれ持った性格から、その女性さえそばに寄せることができなかった。ただ、彼女の純粋さには気づいていたはずです。主にエレンが歌ってグライムズに聴かせているようなところですが、二重唱の中にはかすかな人間同士の行き交いがある。2人の間には交じり合うものがあるんです。「2重唱」というより、いわば「1.5重唱」です。それは涙を誘いますよね。


――ブリテン自身もlove duetと呼んだ、プロローグの終わりの部分ですね。


大野 もうひとり注目したいのは退役した船長であるバルストロードです。彼は理性的で、生業を通じて人生経験を積み、立派な生涯を送っている人間です。でも、海を相手に生きているということは、明日を知らない運命を背負ってきたということでもある。彼がグライムズをよく理解できたのは、人間が「失う動物」として生まれる運命にあることを知っていたからではないでしょうか。


――第3幕 第2場ではグライムズ、エレン、バルストロードの3人だけが舞台上に登場するのに三重唱にはならず、しかもバルストロードは歌うことなくグライムズに言葉で諭します。


大野 この3人の世界は、言葉を通さなくても理解し合える次元にあったように思います。でもエレンとグライムズは「1.5の交わり」ですし、バルストロードが加わっても「2.5の交わり」にしかならず、0.5が欠けているんです。それをブリテンが、何とも純粋な音楽で表現していますよね。


――夫を亡くした寡婦であり、教師であるエレンは、誰かを世話し、守り、育むことに自分の存在意義を見いだしており、ピーターに対しても恋人であると同時に母親的な役割を担おうとしています。


大野 エレンと結婚して子どものいる家庭を築きたいとグライムズが歌う場面がありますよね。もし生まれたとしたら、それはおそらく息子だろうと私は考えています。エレンはグライムズに寄せる思いを、現実には彼と共有できないと分かっている。だからこそ、自分で産んで、常にそばで見ていることのできる存在を求めるような気がするんです。グライムズが違う世界へ行ってしまっても、その子はまだ自分のそばにいる。第二のグライムズとしての子供ですね。


――実際にはふたりにそうした未来はやってきません。でもエレンは母親のような保護者でもあり、バルストロードには父親の代理のような面もある。少年を含めると擬似家族のようにも見えます......。



ミラノ・スカラ座公演より Photo: Brescia and Amisano ©Teatro alla Scala
ミラノ・スカラ座公演より Photo: Brescia and Amisano ©Teatro alla Scala

ブリテンの巧みな音楽構成


――登場する音楽も実に多彩です。冒頭のプロローグはオペラ・ブッファを思わせるところがあり、エレンのアリアにはプッチーニのような後期ロマン派的な抒情もあり、20世紀的な暴力的な不協和音まで登場するのに、ひとつにまとまっているのが不思議です。


大野 おっしゃるとおりですね。最初のプロローグで描かれる法廷の場面は古典的なオペラの始まりのようで、非常に会話調です。事実だけをセッコに、乾いた感じでしゃべるところから始まる。でも、それがだんだん溶けていくんですね。そこへ間奏曲が入ることで、私たちの中でさらにイメージが拡がり、次の幕へ流れていく。

最初の間奏曲〔《4つの海の間奏曲》における〈夜明け〉〕はサラサラサラ......と始まりますよね。そして第3幕で最後、皆がグライムズを見送る場面でも、サラサラサラ......と同じ音楽が聴こえてきます。つまり、これは水であり、海です。グライムズがそこから来て、私たちのもとに現れ、いろいろなドラマがあった。ところが、いつの間にかまた水の音しか聴こえなくなる。ブリテンの中ではそういう風に、さまざまな音楽がひとつのオペラとして結ばれていったのではないでしょうか。


――人間とは関係なくそこにあり続ける、海の永続性ですよね。それを音楽としてまとめていくのは大変そうです......。


大野 違う間奏曲が出てきて、次の場面へ移っていく。その継続のバランスを取ることは難しいですね。急なカーブを描くようなドラマが、たくさんありますから。同時に、新しい間奏曲で少し雰囲気が変わっても、次の場面へ来た時には前の間奏曲が流れ続けていたりします。

大事なことは、誰かと誰かを競い合わせようという意図でこのオペラが書かれたのではなく、そういう人が自然に存在して、こういうこともあり得たかもしれない......。そして時とともに自然の中へ流れていく。海を見ている私たちがその時間の流れとともに、あるドラマを体験する。それが、ブリテンのイメージの中で一番強かったのではないかと思っています。


――海は人間のドラマを包み込む存在であると。


大野 オペラ自体はロマンティックな部分を持ちながらも、最後にはそれまでの人々が体験したこともないような現代の戦争を経験し、もう人間ではいられない次元に達した人間たちが残る。そこには今を生き、現代の悲劇を知ってしまった人間の哀れさを伴う生命が描かれていると思います。

ところが、それが終わった途端、残り香もなく、非常にニュートラルなものの中へ流れていく。ブリテンは、そのニュートラルなものを自分の生きどころだと思ったのではないでしょうか。自分自身のはじまりは自分の意志ではないし、何なら亡くなることも自分の生命の終わりではない。そういうことを私たちにも同じ次元で感じてほしい......そういう作品として残してくれたのではないかと思います。


――ブリテンの人生観そのものが反映されているのでしょうね。過去のインタビューで大野さんはブリテンの魅力を「ヒューマニスト(人間主義者)」と語られていましたが......


大野 私がかつてブリテンに対して「ヒューマニスト」という言葉を使ったとすれば、今この作品に向き合うにあたって、もう少し違う捉え方をするようになりました。ヒューマニストであり続けることが難しい中、自分の空間にヒューマニズムを持ち、それをぎゅっと抱きしめているような存在なんです。


ロバート・カーセンの演出術


――今回の《ピーター・グライムズ》は、スカラ座でも上演されたロバート・カーセンの演出です。これまでカーセンとは、どのような仕事をされてきましたか?


大野 何度か共演の機会があり、どれも忘れられないものになっています。直近〔2026年5月〕ではパリ・オペラ座で《ルサルカ》を一緒にやりました。ドヴォルザークは交響曲などでは、非常にきれいな譜面を書く作曲家です。ところが、オペラの譜面になると少し様子が違う。まずオーケストラが少し大きくなり、そこへいろいろな声が降りてくるように書かれているんです。

ルサルカは、彼女ほど純真に生きたオペラの役柄が、他の作曲家のオペラも含めて何人いるだろうか、と思うくらい純真なんですよ。「純粋」というより「純真」なんです。姿を変えてでも、口が利けなくなっても、思いを寄せる男性についていく。ところが結局は愛されず、彼は別の女性のところへ行き、最後にはまたゆっくり湖の下へ沈んでいく。これほどピュアな子ですから、言い合うようなこともない。それが《ルサルカ》を上演する難しさでもあります。そのあり方を説明するのが、カーセンはとってもうまかったんですね。


――言葉で思いを伝えられないルサルカを、舞台でどのように見せていたのでしょう?


大野 彼女が相手の男性と一緒にいられる時はほとんどなく、周りには誰かがいて、彼女はいつもそれを見ているだけなんです。彼女は歌えないから――もちろん多少は歌いますけれど――、その純粋な心が動く時の仕草を、巧みに見せていました。舞台にはいろいろな円形の光が散りばめられていて、光があるところと、光がふっと落ちてしまうところがある。2人が舞台にいる時には映っている光が、彼女が沈む時には、ごくわずかになる。これは、作品を読み込んだ演出家にしかできないことだと思いました。

民族的な主題を使ってあれほど雄大な交響曲を書いたドヴォルザークですが、オペラ作曲家としては、とても繊細な感受性を持っている。その心の襞が《ルサルカ》の音楽に現れていることを、歌手の表情に合わせて作りこんでいく。だからこそ最後に、ルサルカがすーっと沈んでいくと、その後に顔を上げた聴衆の皆さんが「何か目の前で、こんなことが起こっていたのではないか」というような顔になるんです。



今の日本に響かせる、ベンジャミン・ブリテンの音楽


――日本ではブリテンのオペラを聴く機会はそれほど多くありません。大野さんは以前から新国立劇場でもっと上演したいとおっしゃっていましたが、今、ブリテンを取り上げる意義はどこにあるのでしょうか?


大野 ブリテンは人間の心の裏表を静かに、しかし非常に深く見ることのできた作曲家です。そういう繊細で感情豊かな作曲家がこのような作品を生み出したのは自然なことだったと思っています。実は、もう少し中期を過ぎた頃の作品を持ってこようとも考えたんですよ。ただ新国立劇場の上演の歴史を見ると、《ピーター・グライムズ》はずいぶん前だったんです。


――《夏の夜の夢》が2020年に上演されていますが、《ピーター・グライムズ》は前回の上演が2012年なので、14年前になりますね。


大野 それほど経つなら、ブリテンをもう一度始めるのは《ピーター・グライムズ》というところに落ち着いたんです。その次には中期の作品でも最後の作品でもいいので、またご提案できればと思っています。


――ブリテンはベルクだけでなく、マーラーからも影響を受け、第1幕 第2場への間奏曲である〈嵐〉は、明らかに交響曲第1番《巨人》の第4楽章がモデルになっています。ドイツ・ロマン派との繋がりも深く、決して音楽史の周縁・傍流に位置する作曲家ではありませんよね。


大野 19世紀から続くヨーロッパのオペラ作曲家の系譜の延長線上にいる、最も重要な作曲家のひとりといえます。そして協奏曲やチェロ交響曲、何といっても《戦争レクイエム》を考えれば、管弦楽作品の分野でもベートーヴェンから後の作曲家へ受け継がれていく系譜の延長線上には、必ずブリテンが入ってくる。しかも、ベルクをそのまま継いだわけでもなく、私たちにとって非常に分かりやすい響きで書かれている。だから本当は、もっと演奏され、人気が出てしかるべき作曲家でもあるんです。


――その豊かな音楽を、もっと日本でも聴きたいです。まずは今回の《ピーター・グライムズ》も楽しみにしています。



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