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【コラム】『カルメン』―作曲家ビゼー×演出家アレックス・オリエの挑戦
オペラの歴史を変えた『カルメン』。初演当時の客席に、想像を超える野蛮さで迫ってきた一作である。合唱団を含め、舞台に出てくる人の半数は、いわゆる「ならず者」。しかも、音楽には始終「毒気」が漂うのだ。
本作は、パリのオペラ・コミック座で初演された(1875)。コミック座といえば、中産階級が家族連れで集うので、長年ハッピーエンドの演目が続いていた歌劇場である。それなのに『カルメン』のエンディングは「脱走兵が情婦を刺し殺す」という物騒なもの。初日の客席は唖然とした。
メリメの原作小説でも、女は男に殺される。そのことは観客も分かっていたのだろう。しかし、ほのぼのとしたコミック座の舞台で「まさか、本当に、小説の通りになるなんて!」とみな慄いたのだ。だから、幕が下りても誰も拍手せず、氷のような沈黙が客席を包んだと伝えられている。作曲家ビゼーが心血注いで書き上げた音楽がドラマティックであればあるほど、人々の驚きは増した。前述の通り、毒気にあてられ戸惑うばかりであったのだ。
しかし、それからほどなくして、『カルメン』は世を魅了した。その理由はまず、音楽の雄弁さ。そして、ドラマが市民層の好奇心を鷲掴みにしたからである。神々や偉人の逸話だけでなく、日常に見え隠れする「危なっかしさ」も見てみたい─客席のそういった潜在意識を、このオペラは掘り起こした。いわば、現代の任侠映画にある種のヒロイズムを感じる心と似た境地なのだろう。
現代に再造型するオリエ演出
2021年に新国立劇場が『カルメン』新制作を世に問うた時、演出家アレックス・オリエ(バルセロナ生まれ、1960~)は、物語の真実味を増す意味から、この毒気をより強く際立たせた。彼は、本来のキャラクター設定をいったん外し、コンサートの主演歌手としてカルメンを再造型。彼女が裏では薬物の取引にも寄与するというサブプロットを付け加えた。確かに、「薬物中毒」は大きな社会問題である。人生を滅ぼすことは明らかなのに、手を出す人の数は一向に減らないのだ。演出家は、そうした日常の闇をドラマに忍び込ませることで、「触れば火傷しそうな女性」の危うさをより鮮明に打ち出し、物語の苦みを現代風に示すことにも成功したのである。
ちなみに、演出家オリエのもうひとつの得手は、「極めて巧みな人員配置術」である。例えば、合唱団演ずる兵士たちは、ここでは「コンサートを警備する警察官たち」の一群になっていたが、その彼らがステージ上手から下手までただ歩いてゆくだけでも、一人ひとりの所作が細かく付いたので、何かしらの物語が生まれていた。周囲に興味を持つ者、独りで歩む者、他者と一緒にいても気もそぞろの人など、それぞれの胸の内が音楽の流れからシンボリックに浮かび上がってきた。今も忘れられない情景である。
今回、このステージが4年ぶりに再演の時を迎えるが、今回の指揮者は、シチリア島パレルモ生まれのガエタノ・デスピノーサ。彼の生地シチリアと言えば血の気の多さで知られる土地柄だが、ヴァイオリニストとしてまず世に出たこのマエストロは、物腰柔らかく、指示は繊細。しかし、音楽はきびきびと自然に進めるタイプである。彼のスムーズな棒捌きから浮かび上がるであろう、音楽のダイナミックな展開ぶりに期待してみたい。
注目の歌手陣による公演

(中段左より)サマンサ・ハンキー、アタラ・アヤン、ルーカス・ゴリンスキー、伊藤晴、田中大揮
(下段左より)森口賢二、成田博之、糸賀修平、冨平安希子、十合祥子
続いてはキャスティングについて。贅沢な顔ぶれの中でも今回、ひときわ興味を惹くのは、やはり主演のメゾソプラノ、サマンサ・ハンキーであろう。米国マサチューセッツ州生まれの彼女は、温かく柔らかい響きを武器に、込み入ったパッセージを苦も無く歌い上げることでオペラ界の注目の的になっており、自他ともに認める当たり役といえば、R・シュトラウス『ばらの騎士』凛々しいオクタヴィアンである。それだけに、彼女が、いわば、青年貴族とは正反対の、妖しさと鋭い眼光を併せ持つカルメンをどう演じ、どう歌い上げるのか、筆者はその点に強い関心を抱いている。歌の緻密さを漏らさず聴き取り、演技の切れ味をつぶさに眺めてみたいものと、彼女の登場を今から心待ちにしている。
次に、ホセ役のテノール、アタラ・アヤンについて。ブラジル生まれの彼もまた、温かみ有る声音の持ち主だが、今回は、その温和な持ち味が、カルメンと出会ってからどのように「すさんでゆく」のか、それを最後まで見届けてみたいと思う。ちなみに、本プロダクションは、世界初演時のスタイルである「オペラ・コミック様式(フランス語の生のセリフが曲間に飛び交う)」に則ったものなので、例えば第2幕でカルメン含む密輸団5名のやりとりも一層生々しくなる。だからこそ、それに続くホセのシャンソン「アルカラの龍騎兵」でのしなやかな歌の流れや、現れたホセとカルメンのとげとげした会話の応酬など、既にフランスものの経験多いこのテノールならではの言葉捌きも堪能してみたいのである。
また、闘牛士エスカミーリョを演ずるのは、ポーランド出身のバスバリトン、ルーカス・ゴリンスキー。彼は世界中でこの色男役を歌っているようで、濃い目の響きで颯爽と歌い上げるさまが客席の心を掴むよう。第2幕のヒットナンバー「闘牛士の唄」のみならず、第3幕のホセとの「対決の二重唱」など、彼のこなれた歌いぶりに加えて、エレガントな動きも見どころのひとつになるだろう。
ちなみに、このステージでは、『カルメン』に出演経験の多い邦人勢がずらりと起用されており、彼らの声の力と経験値のもと、第1幕で女声合唱が入り乱れる「女工たちの喧嘩のシーン」や第2幕のコミカルな「密談の五重唱」や第3幕の明暗著しい女声三重唱である「カルタの場」から朗らかなアンサンブルの「税関吏は任せて」など、台詞と歌のスピーディーな移り変わりも大いに楽しめるに違いない。
例えば幕開きの伍長モラレス(バリトン森口賢二)の気だるいソロから、第2幕でホセとやりあう軍曹スニガ(バスバリトン田中大揮)の威圧感、密輸団を率いるダンカイロ(バリトン成田博之)の男気とレメンダード(テノール糸賀修平)のすばしっこさ、フラスキータ(ソプラノ冨平安希子)とメルセデス(メゾソプラノ十合翔子)といった妹分二人がカルメンの行く末を本気で心配する姿など、「観る人の琴線に触れる瞬間」をみな、全力でやり遂げてくれることだろう。そして、パリにも留学したソプラノ伊藤晴が、持ち前のひたむきな心のもと、このオペラ唯一の「良心」たる勁(つよ)き乙女ミカエラを全力で歌い上げるさまにも、ぜひ、耳を欹(そばだ)てていただければと願う。
オペラ研究家。音楽雑誌や公演プログラム、CD及びDVD解説、NHK教育『らららクラシック』、FM『オペラ・ファンタスティカ』出演など多数。新国立劇場オペラ専門委員&静岡国際オペラコンクール企画運営委員を歴任。大阪大学非常勤講師(オペラ史)。