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開幕迫る!『ウィリアム・テル』演出コンセプト説明レポート
新国立劇場が上演する大作オペラ『ウィリアム・テル』が、大きな注目の中、いよいよ動き出しました。
新国立劇場には公演準備のため、演出・美術・衣裳を担当するヤニス・コッコスをはじめ、演出補のシュテファン・グレーグラー、装置助手クレオ・ライグレ、衣裳助手アンヌ・ヴェジアが集結。そしてキャストも続々来日し、キャストとスタッフの顔合わせが行われました。
まず芸術監督で、この公演を指揮する大野和士から挨拶がありました。
「皆様新国立劇場へ、そして私たち新国立劇場の新制作プロダクション『ウィリアム・テル』へ、ようこそご参加くださいました。
私は皆様に、この作品について3つの点をお伝えしたいと思います。
第1に、ロッシーニが合唱に非常に大きな役割を与えたということ。合唱団は多くの役を担い、場面によっては非常にスペクタクル性のある、壮麗な、また動的な音楽を歌います。また別の箇所では非常に印象的な面を見せます。
そうした曲の後、ソリストが登場することになります。ソリストは合唱に導かれて登場し、合唱と非常に大きなコントラストを見せる。これが第2点めです。
そして3点目はアルノルドとマティルドの愛が描かれることです。この愛のシーンこそロッシーニがこのオペラに与えた重要なポイントです。ロッシーニはオペラとして構築するために愛の二重唱を与えた訳で、この愛の場面によってこそ、『ウィリアム・テル』はオペラになったのです。この愛の物語は原作者のシラーは書かなかったのですが、にも関わらず、このオペラ全体にとって重要な基本的な要素となったのです。
この3点によって、『ウィリアム・テル』は音楽史において永遠に重要性を持つこととなりました。
皆様がこのプロダクションに全力で取り組み、真に演劇的で素晴らしい体験を共にできることを祈ります。ありがとうございました。」
続いて、演出家のヤニス・コッコス氏から演出コンセプトの説明がありました。
「こうしてここ新国立劇場に来られて、大変嬉しく思っております。前回画面越しに協働したこの劇場のスタッフ、そしてこれまでにブリュッセル、パリで仕事を共にした大野和士さんと再びご一緒できることを、大変嬉しく思っております。
今回、皆さんと一緒に舞台を創るチームとして、私に協力するクリエイティブチームを連れて参りました。彼らは私の友人でもあります。この作品が、その長さ故の大変さばかりが話題にならないよう、私たちは全力を尽くしたいと思います。」
「『ウィリアム・テル』は偶然にも、原作者のシラーにとっても最後の作品で、シラーはこの作品を書き上げて間もなく亡くなりました。そしてロッシーニにとっては最後のオペラ作品となりました。
ロッシーニの方は、自らオペラの作曲を辞める決断をしたわけです。私はこの決断は、芸術的な観点で非常に興味深いと思っています。
ロッシーニはこのオペラで、それまでの自分の作曲を超越して、さらに先にゆくような工夫をしたのですが、それ以上先に行けないような革新的な作曲をしていた。私は芸術上の心理として、非常に興味深い決断ではないかと思っています。
この作品にとって非常に重要な、"モダンである"というところを見せる。同時に、『ウィリアム・テル』はロッシーニらしさがよく現れている作品でもあると思います。"モダンである"というのは、この作品の音楽においても、また物事を認識するその知覚の仕方についても、その歴史的な部分や政治的なところ、またストーリー運びの点でもモダンな取り組み方をしています。
一方ロッシーニらしい精神というのは、特にダンスの部分に現れていると思います。観客を喜ばせたい、喜んでもらうことに徹底しているところがよく現れています。私たちもそういった側面を取り入れられればと思っています。
今回は振付のナタリー・ヴァン・パリスがダンスの部分を担いますが、ダンスという手段で、異なった次元のものが見せられます。完全にストーリーに直結はしていない、また異なった部分も語ってくれるような要素となります。」
「この作品にテーマとして現れているのは――ロマン主義の基礎にもなる部分ですが――、"自然"というものが非常に大きな存在として扱われています。そしてもうひとつ重要なのが、"自由"の希求です。自由というのは個人的な自由でもあり、集団の自由もあり、両方の自由を求める、この二つの大きな要素がテーマになっています。
"自然"は、音楽にもしっかりと描かれています。挿絵のように具象的に描かれているわけではないのですが、『ウィリアム・テル』の音楽では徹底して自然の存在が大きく扱われています。作品の中で自然というのは変わらない不変の存在ですけれども、その不変の自然の中に、スイス人たちのように自然との繋がりが強い人々もいます。彼らは物語の中で圧政者たちから逃れようとしますが、彼らはこのオペラで、段階的に、徐々にそういう気持ちになっていく様子が描かれます。
このような状況は、今日の私たちにも語りかけるものです。世界には紛争が絶えません。そういう意味でも今の時代にも沿っていますし、時代を超越して、時代に関係なく存在しています。
シラーの戯曲にもロッシーニのオペラにも、対立、単純化すると善と悪の対立があります。善=スイスの農民と悪=ドイツの圧政者の対立です。この二つの集団の関係の中でこの作品が描かれるのですが、この対立の図式から外れている人物が、アルノルドとマティルドです。
アルノルドは敵に協力しようとする人物として話がスタートするのですが、マティルドは自身の家を全て捨てて、愛に生きる、情熱に生きようとします。その決断をすべきかどうかということで葛藤しますが、この"愛に生きる"ことによってふたりは社会的な現実の外に身を置くことになる。そうするかという決断を迫られている。
私のこの作品の結末の解釈では、アルノルドは自身の過去との決別を決断します。マティルドとも決別することを決めるのです。マティルドは、自分が属していた集団を捨ててしまったがために、最後は全てを失い、全くの孤独になってしまうわけです。非常にロマン主義らしいテーマだと思います。
そしてもうひとり、ギヨーム・テルという人物がこの反乱の指導者となりますが、スイスの農民たちは必ずしも、最初から反乱に加わろうと思っているわけではないのです。ギヨーム・テルの意識に少しずつ皆の意識が繋がり、そういう気持ちになっていく。これもまた興味深いことで、集団の何か大きな動きというのは、指導的な立場の人物の動きがあってこそ起こるという考え方は、ロマン主義らしい形だと思います。」
「この作品では合唱が人物を描き出すベースを作って、その中から主要な人物が出てきます。そしてその人物たちの変遷をたどっていくという構成になっています。
『ウィリアム・テル』はある種、活気のあるオラトリオ、物事がよく動くオラトリオという風に捉えられると思います。私たちもその劇的な部分を大事にして、この4時間をこえる作品が1時間ぐらいに感じてもらえるよう、活き活きとした作品にしていきたいと思っています。
この作品には様々なテーマが盛り込まれていますが、ロッシーニよりむしろシラーが意識していた、革命の中で果たして「死」を与えてよいのかという倫理的な問いについても書かれています。オペラの中で最初に行動する人物がルートルド、圧政者に対し行動する人物としてルートルドが登場します。私はこの点についても考慮しています。
皆様とこの特別な作品を一緒に創ることを大変嬉しく感じています。やはり長い作品であるということで、ついちょっと恐れてしまうところもあるかも知れませんが、取り組み始めれば、そして作品の中に入っていけば、この作品がオペラ作品として本当に転換期の重要な作品であるということを実際に体感していただけると思います。永遠のロッシーニらしさも含め、丸ごとロッシーニの作品として感じてほしいと思います。
この作品が素晴らしいプロダクションとなるように私たちは全力で取り組みます。」
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