クラブ・ジ・アトレ誌8月号より
文◎水谷彰良(日本ロッシーニ協会会長)
トランペットのファンファーレで始まる序曲末尾の壮麗な音楽を知っていても、『ウィリアム・テル(ギヨーム・テル)』を劇場で鑑賞した人は少ないはず。わが国では1983年に藤沢市民オペラが日本語訳で上演したのが唯一で、オリジナル・フランス語版は今回の新国立劇場が初演となるからだ。遅きに失したのではない。本家パリ・オペラ座でも1932年を最後に上演が途絶え、2003年にバスチーユ・オペラで復活したばかり。メトロポリタン歌劇場におけるフランス語上演は16年、ミラノ・スカラ座は今年3月が最初だから、まさに機が熟しての登場である。
シラーの原作からロッシーニの歌劇へ
原作はドイツの詩人・劇作家フリードリヒ・シラーの戯曲『ヴィルヘルム・テル』(1803)。ハプスブルク家に支配される中世スイスを舞台に悪代官の圧政に苦しむ3つの州の農民が「奴隷として生きるより死を選ぼう」とリュトリの誓いをたて、それぞれの州の代官の城を陥落させて勝利する、というのが物語の大筋だ。そこに登場するのが代官ゲスラーの命令で息子の頭に乗せたリンゴを射落とす伝説の英雄、ヴィルヘルム・テルである。戯曲は明治期に翻訳され、児童文学としても人気を博したから、詳細を知らずともテルが息子の頭のリンゴを射落とすシーンは覚えているだろう。シラーが執筆したときスイスはナポレオン率いるフランス軍の支配下にあったから、この作品には、スイスの民衆に尊厳と自由を取り戻させたいとの強い願いも込められている。
これを歌劇化したジョアキーノ・ロッシーニは18歳でオペラ作曲家となり、清新な旋律、活き活きとしたリズム、華麗な装飾歌唱を用いる喜歌劇『セビリアの理髪師』『チェネレントラ』で時代を席巻した革命児だった。オペラ・セリアでも評価され、シェイクスピアを原作とする『オテロ』、旧約聖書に題材を求めた『エジプトのモーゼ』、スコット原作の『湖上の美人』とヴォルテール原作の『セミラーミデ』がこのジャンルの代表作である。
1822年のウィーン訪問で旋風を巻き起こし、パリとロンドンでも熱狂的な歓迎を受けた彼はフランス王家の求めで活動の場をパリに移し、シャルル十世の戴冠を祝うカンタータ『ランスへの旅』でデビューを果たす。そしてオペラ座のためのフランス語作品を求められ、年一作のペースで旧作を改作した『コリントの包囲』『モイーズとファラオン』『オリー伯爵』により成功を収め、満を持して取り組んだのが『ウィリアム・テル』である。台本作家エティエンヌ・ド・ジュイはシラー劇を要約しながらも、代官の城で暮らすベルタ嬢をハプスブルク家の皇女マティルドに格上げし、ベルタに恋する青年貴族ルーデンツを長老メルクタールの息子アルノルドに変え、身分違いの恋をドラマの重要な伏線としている。