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『トスカ』タイトルロール ジョイス・エル=コーリー インタビュー

ジョイス・エル=コーリー

オペラの2023/2024シーズンを締めくくる演目は、プッチーニ『トスカ』。

邪悪な警視総監スカルピアによる恐怖政治下のローマで、不当に捕らえられた恋人カヴァラドッシを救うため、スカルピアに立ち向かう歌姫トスカ。

命がけの駆け引きの末、手に入れた希望。しかし、それは罠だった─

マダウ=ディアツ演出のダイナミックな舞台が見どころの名プロダクションで今回タイトルロールを歌うのは、ジョイス・エル=コーリー。

レバノン出身、カナダ育ち、現在欧米の歌劇場で注目を集めるソプラノが、オペラパレスに初登場。

自身の声について、そして『トスカ』について語る。

クラブ・ジ・アトレ誌3月号より

インタビュアー◎ 後藤菜穂子(音楽ライター)



声とは人間の心の延長 心に語り掛けてくれる役を歌いたい



―エル=コーリーさんといえば、ドニゼッティの『ベリザリオ』や『殉教者』など、知られざるベルカント・オペラの分野で頭角を現した印象がありますが、もともとそうした演目にご興味があったのでしょうか?



エル=コーリー いえ、たまたまそうした方向に導かれたのです。私がメトロポリタン歌劇場のリンデマン・プログラムで学んでいたときは、『ラ・ボエーム』のミミや『ファウスト』のマルグリートなど主にリリコのレパートリーを歌っていたのですが、あるときマエストロ・レヴァインに「そういった役もよいけれど、君はいずれヴェルディを歌うようになるだろう」と言われました─今まさにその道を歩んでいるので、彼の見立ては正しかったわけですが。でも当時の私は、軽く浮かせる高音が得意だったので、声楽コーチの先生がベルカントのレパートリーを歌ってみたら、とすすめてくれて、そうしたことから、英国のレーベル、オペラ・ラーラと録音する機会をいただいたのです。最初に録音したのが『ベリザリオ』でした。まったく未知の世界でしたが、これが私にとって道を開いてくれたのです。



―エル=コーリーさんは「リリコ・スピント」とも呼ばれているようですが、ご自身ではどういった声のタイプだとお思いですか?



エル=コーリー 私自身は自分の声を「リリコ・スピント」だと言ったことは一度もないんです。声のタイプで役を選ぶのではなく、自分の心に語りかけてくれるレパートリー、自分の声に合った役を歌いたいと思っています。思えば若い頃、先生方は私の声をどう分類したらよいのか、困っていましたね─いったいリリコなのか、イタリアものが向いているのか、フランスものが向いているのか。おそらく私の声は従来のファッハ・システム[注: ドイツ式の声の分類システム]の枠にはまらなかったのだと思います。でも、私にとっては、声とは人間の心の延長であり、自分を枠にはめたくはないのです。

 実は昨年は、カルメンとノルマを舞台で歌ったのですが、多くの人からどうやって両方歌ったの?と聞かれます。一般的にカルメンはメゾソプラノが歌いますが、私はふだんの話し声もかなり低いですし、カルメンの音域は歌いやすいんです。そして、カルメンを歌ったことは、ノルマに取り組むためのよい準備にもなりました。



―その『ノルマ』は、アテネで行われたマリア・カラスの生誕百周年の記念公演だったそうですね。



エル=コーリー そのとおりです。『ノルマ』は「オペラのエベレスト」と呼ばれるほどの難曲で、最初にお話をいただいたときは、まだ早すぎると思ったのですが、でも歌ってみたら声の準備はできていました。これまで十数年歌ってきた数多くのベルカントの作品が役に立ったのです。これまでの人生で経験したことのすべてが、この役に結実した感じがありました。

 演出はマリア・カラスの愛好家としても有名なトム・ヴォルフ監督で、アクロポリスの南西にあるヘロデス・アッティコス野外音楽堂という最高なセッティングでした。しかも、アリア「清らかな女神よ」を歌い始めたとき夜空に満月が浮かび、本当に神秘的でした。



トスカの設定はオペラ歌手 役を通して聴衆のみなさんと通じ合えたら



―昨年、「東京・春・音楽祭」ではムーティ指揮の『仮面舞踏会』(演奏会形式)のアメーリア役を歌われました。これが日本デビューでしたか?



エル=コーリー はい、日本を訪れたのも初めてで、とても感銘を受けました。公演はムーティの「イタリア・オペラ・アカデミー」の一環でしたので、若い指揮受講生への彼の指導を見ることができたのも有意義な経験でした。その時は短い滞在でしたので、今度は東京を探索したり、郊外に足を伸ばしたりできたらと思います。



―7月には新国立劇場に『トスカ』で初登場されます。初めて同役を歌われたのはいつですか?



エル=コーリー 2021年にフランスのリール・オペラで初めて歌いました。本来は舞台上演の予定だったのですが、当時まだ新型コロナウイルス感染症対策で制限があり、ほとんど装置のない舞台での無観客公演を収録して配信しました。



―トスカを演じる上でもっとも難しく感じる点はなんでしょうか。



エル=コーリー 二点あります。まず、トスカは実はとても若い女性だということを私たちは忘れがちです。なぜなら、トスカを歌うためには歌手はある程度の年齢を重ね、とりわけ第2幕の分厚いオーケストラに対抗できる声量が必要だからです。したがって、私はトスカを演じる上で、若々しさや遊び心を、立ち居振る舞いやしぐさ、そして声を通して表現することを大切にしています。

 もうひとつの点は、『トスカ』の物語は一日のあいだに起こるものであるため、たとえばノルマとか、ドニゼッティのチューダー朝の女王たちとは異なり、トスカのキャラクターがあまり肉付けされていないんですね─特に心理面において。第1幕のトスカは恋人カヴァラドッシと会う約束をするために教会に来るわけですが、彼が誰かと浮気しているんじゃないかとやきもちを焼きます。そこから彼女が嫉妬深いことはわかります。第2幕では一転してスカルピアの虐待の被害者になりますが、そうした中で彼女は自身で問題を解決しようと、一瞬のうちに行動を起こし、スカルピアの殺害を決意するのです。その中で歌われるアリア「歌に生き、恋に生き」は、彼女の心の内を覗くことのできる唯一の親密な時間なんですね。

 トスカは設定がオペラ歌手ですし、アーティストとしての自分をさらけ出す部分もありますので、役を通して聴衆のみなさんと通じ合えたらと思っています。



―エル=コーリーさんはレバノンに生まれ育ち、6歳のときにご家族とともにカナダに移住されたとうかがっていますが、どういった経緯で歌の道に進まれたのでしょうか?



エル=コーリー 両親は音楽と縁はなかったのですが、祖父はすばらしいバリトンの声をもっていて、レバノンの教会の聖歌隊で35年以上歌っていたので、私の歌の才能も祖父から譲り受けたものかもしれません。

 6歳のときに家族でカナダのオタワに移住しました。子どもの頃から歌うことは好きだったのですが─ホイットニー・ヒューストンとかポップスでしたけどね─あがり症だったので人前で歌うのは苦手でした。それを克服しようと、15歳のときに声楽のレッスンを受けるようになりました。

 大学は看護科に進もうと思ったのですが、音楽の才能があるのだから音楽を学んでみたらと両親がすすめてくれて、オタワ大学の音楽学部に進みました。それまで私はオペラとはまったく無縁でしたが、大学1年生のときに参加したオペラ・ワークショップで『カルメン』のハバネラを歌うことになり、すっかりオペラの虜になったのです。ですから、昨年の夏にカルメンを歌うことができたのは、自分の原点に回帰した感慨がありました。自分からオペラを求めたのではなくて、オペラが私を選んでくれたといえるでしょう。

 私はカナダ人として育ちましたが、今でもレバノン人としてのアイデンティティは持ち続けていて、最近ではレバノンで若いアーティストの育成にもかかわっています。リサイタルではレバノンの作曲家の歌曲なども取り入れたりもしています。みなさんにもレバノンの文化についてもっと知っていただきたいと願っています。



ジョイス・エル=コーリー Joyce EL-KHOURY

レバノン出身。カナダで育ち、オタワ大学で音楽学士号を、フィラデルフィア声楽アカデミーでアーティスト・ディプロマを取得し、メトロポリタン歌劇場のリンデマン・ヤング・アーティスト・プログラムを修了。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団『ルサルカ』タイトルロール、バイエルン州立歌劇場『ラ・ボエーム』ムゼッタ、サンタフェ・オペラ『カルメン』ミカエラ、カナディアン・オペラ・カンパニー『椿姫』ヴィオレッタなどに出演し、2016/17シーズンに英国ロイヤルオペラに『椿姫』ヴィオレッタでデビュー。17年には同役でグラインドボーン音楽祭にデビュー。ボルドー歌劇場『真珠採り』レイラ、『海賊』イモジェーネ、フィラデルフィア・オペラ『トゥーランドット』リュー、リール・オペラ『トスカ』タイトルロール、カナディアン・オペラ・カンパニー『エウゲニ・オネーギン』タチヤーナなどに出演。21/22シーズンはウェールズ・ナショナル・オペラで『蝶々夫人』タイトルロールにデビューしたほか、ダラス・オペラ『真珠採り』、カナディアン・オペラ・カンパニー『カルメン』、ビルバオ・オペラ『アンナ・ボレーナ』タイトルロールなどに出演し、ムーティ指揮シカゴ交響楽団『仮面舞踏会』でアメーリアにロールデビュー、ルツェルン音楽祭とグラフェネック音楽祭にR.シュトラウス『4つの最後の歌』でデビューした。新国立劇場初登場。

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