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『エウゲニ・オネーギン』タチヤーナ役 エカテリーナ・シウリーナ
インタビュー

エカテリーナ・シウリーナ

プーシキンの韻文小説をチャイコフスキーの抒情的な音楽で綴る、ロシア・オペラの傑作『エウゲニ・オネーギン』。タチヤーナを演じるのは、エカテリーナ・シウリーナだ。

ロシアのエカテリンブルク出身、現在はアメリカを拠点に欧米の名門歌劇場で大活躍中の彼女が、新国立劇場に初登場。そして初めてタチヤーナ役を演じる。

シウリーナ自身にとって「特別な公演になる」と語る1月の上演を前に、これまでの歩みと『エウゲニ・オネーギン』への思いをうかがった。

クラブ・ジ・アトレ誌11月号より



タチヤーナの心の変化 その表現を観比べてください



―2021年4月『イオランタ』にご出演いただく予定でしたが叶わず、来年1月、満を持しての新国立劇場初登場となります。これまでに日本で歌ったことはありますか?



シウリーナ あります! 私のキャリアが始まって間もない頃、2007年11月です。サンクトペテルブルグでのコンクールで賞をいただき、そこで私の声を聴いた女性が「あなたをぜひ日本に紹介したい」と1年後に招待してくださったのです。東京でチャイコフスキーやラフマニノフのロマンスを歌ったのですが、そのとき私は日本が大好きになりました! 豊かな文化、日本食、温かな人々......日本のすべてが好きになったのです。当時生後6か月の息子も連れていたのですが、ベビーカーに乗せて道を歩いていると皆さん話しかけてくださって。そんなほっとする時間も強く印象に残りました。とにかく日本へまた行きたくて、マネージャーに「日本で仕事を入れて!」と言い続け、それが今回やっと叶うのです!



―これまでの歩みをお聞かせいただけますか? お母様が女優だったそうですね。



シウリーナ はい。母は故郷のエカテリンブルグで舞台女優をしていました。ただ当時の女性によくあるパターンで、結婚、出産後は家事と育児中心の生活を送っていました。母はとてもきれいな声をしていて、歌が好きでした。



 私が子どもの頃のロシア(ソヴィエト連邦)は、学校以外に芸術やスポーツなどを学ばせる家庭が多く、私は6歳からチェロを習っていました。音色が人の声に近いチェロは、今でも一番好きな楽器です。ピアノも学び、合唱団にも入っていました。歌うことが好きなのは母譲りだと思います。そして今考えると、母が上手に私を音楽の道に進ませてくれたのです。「カチューシャ(エカテリーナの愛称)、歌を続けなさい」と母はいつも言ってくれました。

 エカテリンブルグの演劇大学に入学し、そこで合唱指揮も学びました。私は故郷での暮らしに満足していましたが、ある日突然、祖母からモスクワ行きの電車の切符を手渡されたのです。私のモスクワ行きは、私の声と才能を認めてくれた人たちの"決定事項"でした。そしてエカテリンブルグの大学2年目に、モスクワの舞台芸術アカデミーに転入しました。自由かつ家族的な雰囲気で居心地よく、毎日が刺激的で、とにかく鍛えられました! 私は引っ込み思案でおとなしかったのですが、「舞台では、小鳥ではなく、みんなの目を惹く孔雀になりなさい」と言われ続けました。



―そしてアカデミーの学生だったときに、モスクワのノーヴァヤ・オペラで『リゴレット』ジルダ役でデビュー。リゴレット役はディミトリー・ホロストフスキーさんだったそうですね。



シウリーナ そうなんです! アカデミーの先生の薦めでノーヴァヤ・オペラのオーディションを受け、研究生として採用されました。そして3か月ほど経ったときに『リゴレット』の話が来たのです。嬉しかったですが、怖かった......なにしろそれまでオーケストラと合わせたことすらなかったのですから。しかも相手役は、小さい頃からテレビで見ていたスター、ホロストフスキーさんです! 彼はシベリア出身、私もウラル地方出身ということで親近感を持ってくれたのでしょう、最初からとても気さくで、サポートしてくれました。スター然とせず、なんというか、友人の域まで"降りてきてくれる"という感じ。若い歌手にも対等に接してくれる本当に素晴らしい大先輩でした。彼が亡くなったと聞いたときは、雷に打たれたようなショックを受けました。今でも信じられません。舞台袖から「やあ! 元気かい?」と姿を現すような気がします。



―『エウゲニ・オネーギン』についておうかがいします。シウリーナさんにとってどのような作品でしょうか?



シウリーナ ロシアで育った私は、幼い時分からプーシキンの文学に触れてきました。『エウゲニ・オネーギン』も詩をすべて暗記するぐらい、小さい頃から心にしっかり刻まれています。でも、オペラとなると「知っている」だけでは成り立ちません。ノーヴァヤ・オペラの頃の私は、タチヤーナを歌うまでは成長できていませんでした。その後私はリリコ・コロラトゥーラ、ベルカントなどイタリアのレパートリーを多く歌ってきており、タチヤーナ向きの声ではないと考えていたのです。ジルダとは全く違いますからね。でも、いつか歌いたいという憧れはありました。そして機が熟したのです。1月の新国立劇場が私にとって『エウゲニ・オネーギン』の初舞台となります。このタチヤーナは私にとって特別な公演になるでしょう。とても楽しみです。



―タチヤーナといえば手紙の場面です。どんなことを心がけて臨みたいですか?



シウリーナ チャイコフスキーが綴った音楽を正確に再現しながらも、音符の間から見えてくるタチヤーナの苦悩、心の機微を表現しなければなりません。いかに音符を歌うかではなく、彼女になりきり、心に寄り添う。歌手としてはもちろん、演技者としての技量も必要とされます。私は「歌う」より「演じる」ことにより重点を置きたい。手紙の場面では、感情の変化をまず私が体現し、それを聴衆の皆様と分かち合いたいです。

 タチヤーナの心境の変化の表現に、同じものはありません。演出によるある程度の枠はありますが、その中の「自由な部分」で自分らしさを表現したい。私のタチヤーナを、ぜひ複数日観て比べてください。毎回異なる私のタチヤーナをご覧いただきたいです。



平和と愛について改めて考えるきっかけに



―タチヤーナは無垢な少女から高貴な公爵夫人へと変化します。この表現も演じがいがありますね。



シウリーナ その通りです。タチヤーナの少女時代は、私が育った環境に似ています。自然に囲まれた田舎町、のんびり過ぎる時間。農民たちが歌い、その声を聴きながら静かに本を読んでいるタチヤーナ......ソ連時代に地方で生まれ育った私世代の人にとっては、とても共感できる、ノスタルジックなシーンです。

 純真無垢な少女の前に突然現れたオネーギン。タチヤーナは彼に一目惚れします。無垢な心に火がともり、その思いをずっと持ち続け、彼を忘れられずにいます。グレーミンという年上の優しい夫をタチヤーナは敬っていますが、彼は夫というより父親のような存在です。ここにある愛情は、オネーギンに抱いた燃えさかる恋情ではなく、尊敬と感謝に基づいた穏やかな愛情なのです。愛情にもいろいろありますものね。

―日本のファンの皆さんにメッセージをお願いします。



シウリーナ 16年前に初めて訪れた日本に魅了されたことのひとつが、温かな聴衆の皆様です。舞台で歌うことは、たくさんの体力と気力を要します。私が皆様に注いだエネルギーは、同じ分だけ、時にはそれ以上の大きな力となって、皆様から返ってきます。

 音楽は世界中の人々をつなぎます。私たちは今、愛と幸せを渇望しています。その思いはみな同じ。私の使命は、プーシキンとチャイコフスキーが作り上げた芸術の力を借りて、オネーギンとタチヤーナの切なくも純粋な美しい愛のストーリーを皆様にお届けすること。境界のない音楽の力で、平和について、愛について、改めて考えてみるきっかけになれば、私も嬉しいです。



エカテリーナ・シウリーナ Ekaterina SIURINA

ロシア出身。モスクワのロシア舞台芸術アカデミーで学び、ノーヴァヤ・オペラでデビュー後、瞬く間に欧米の主要音楽祭や歌劇場に出演するようになり、2003年にウィーン国立歌劇場、英国ロイヤルオペラ、06年にメトロポリタン歌劇場へデビュー。これまでに、ウィーン国立歌劇場『ドン・ジョヴァンニ』ドンナ・アンナ、英国ロイヤルオペラ『魔笛』パミーナ、『リゴレット』ジルダ、バイエルン州立歌劇場、ピッツバーグ・オペラ、グラインドボーン音楽祭、ベルリン州立歌劇場、ハンブルク州立歌劇場で『愛の妙薬』アディーナ、パリ・オペラ座とミラノ・スカラ座で『フィガロの結婚』スザンナ、ザルツブルク音楽祭『ドン・ジョヴァンニ』ツェルリーナ、カナディアン・オペラ・カンパニー『椿姫』ヴィオレッタ、ヴェローナ野外歌劇場『リゴレット』ジルダなどに出演。最近の出演には、バイエルン州立歌劇場、ピッツバーグ・オペラ『愛の妙薬』アディーナ、ウィーン国立歌劇場『ドン・ジョヴァンニ』ドンナ・アンナ、『椿姫』ヴィオレッタ、英国ロイヤルオペラ『ラ・ボエーム』ミミ、ピッツバーグ・オペラ『ルサルカ』タイトルロールなどがある。新国立劇場初登場。



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