新国立劇場『ラ・ボエーム』(2020年)より©寺司正彦
オペラ『ラ・ボエーム』の原作は、アンリ・ミュルジェールの小説『ボヘミアンたちの生活情景』(1851)。ここでのミミはもっと奔放で、男性を渡り歩く。第二のヒロイン、ミュゼット(オペラのムゼッタ)も同様である。ミミは最後は一人寂しく病院で死んでいく。
だがこんなラストではオペラにはならない。視覚が重要な舞台芸術では、最後にハイライトが必要だ。ミミがロドルフォの腕の中で息絶えるから、私たちは涙を誘われるのだ。プッチーニと台本作者たちはとっ散らかった物語を大胆に整理し、キャラクターにも手を加えて、心を打つドラマを作り上げた。
プッチーニのオペラで筆者がもっとも感心するのは、個々のキャラクターが立っていることだ。とりわけミミとムゼッタのキャラクターが対照的になっているのは効果的である。控えめで健気で一途なミミ。移り気だけれど、魅力的で優しいムゼッタ。慎ましい生活を、静かに、時に情熱的に告白するミミのアリア「私の名はミミ」、男性を惹きつける自分の魅力を誇示するムゼッタのアリア「私が街を歩くと」は、二人そのものだ。ルッジェーロ・レオンカヴァッロも、同じミュルジェールの作品に基づいたオペラ『ラ・ボエーム』を書いたが、プッチーニ作品の影に隠れてほとんど上演されないのは、原作により忠実で、その結果キャラクターが曖昧なのも一因だろう。
原作より純情になったミミは、実はあまり「グリゼット」らしくない。真夜中に一人で男性のところに火を借りにくるなど堅気の女性の振る舞いとは言えないし、「ミミ」という名前は、実はグリゼットによくある「源氏名」のようなもの。だからミミも、「本当の名前はルチア」だと告白している。
けれどプッチーニは、ミミの「グリゼット」ぶりを最小限にとどめた。最後で彼女は「子爵」の世話になるが、そのことで彼女を蓮っ葉だと思う観客は誰もいないだろう。観客が心を動かされるのは、息絶え絶えの状態でロドルフォに会いにくるミミの健気さだ。
出来過ぎだが、出来過ぎくらいでちょうどいい。オペラは「夢」なのだから。そもそもクリスマス・イヴの夜に出会って恋に落ちるなんて、夢のような出来事の最たるもの。『ラ・ボエーム』では、「夢」と「リアル」が絶妙なバランスで溶け合っている。だから『ラ・ボエーム』は愛される。
台本に忠実かつオリジナリティに富むオペラパレスの人気プロダクション
新国立劇場『ラ・ボエーム』(2020年)より©寺司正彦
2003年に制作され、今回が七度目の再演となる粟國淳演出のプロダクションは、新国立劇場でも屈指の人気を誇るプロダクション。基本的には台本に忠実だが、オリジナリティにも富んでいる。一番の見どころは、各幕の冒頭で投影される「想い出」を連想させるセピア色の映像だ。第一幕と第四幕では、白壁に灰色の屋根裏部屋を載せたアパルトマンが並ぶパリの街並みが映し出され、その屋根裏部屋の一つに人影が見えると、そこがボエームたちの部屋。絶妙の導入だ。第三幕の冒頭では、恋人たちやボエームたちのそれまでの想い出をなぞる写真が浮かび上がり、前幕との時間の経過を埋めてくれる。照明も効果的に使われており、第三幕のラストシーンでは復縁した恋人たちとしんしんと降る雪に、終幕のミミの絶命の瞬間ではミミひとりにスポットが当たる。いずれも、息を飲まされる名場面だ。
イタリアの名匠アレッサンドロ・チャンマルーギによる衣裳も美しい。クリスマス・イヴの屋台で購入され、最後はミミを助けるために質に入れられるコッリーネの古びた外套がタペストリー模様のお洒落なものなのは、さすがイタリア人である。
今回は新国立劇場開場25周年記念の特別な上演とあって、オペラ部門芸術監督の大野和士が自ら指揮を執る。キャストもイタリア人の若手を中心に、世界で活躍する人材ばかり。永遠の青春物語を、この機会にぜひ。
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