オペラ公演関連ニュース
『リゴレット』への期待
本質をえぐる演出と心を奪う音楽。
新国立劇場10年ぶりの新制作で、ヴェルディの名作の醍醐味を!
文◎ 加藤浩子
( 音楽評論家)
孤独と官能。
『リゴレット』の本質の一部は、間違いなくそこにある。
10年ほど前、スペインのビルバオで、新国立劇場では新制作となるスペインの巨匠エミリオ・サージが演出したプロダクションを見て、そのことを確信した。
ヴェルディの傑作オペラ『リゴレット』の主人公は「宮廷道化師」である。生まれつき体が醜く、それを見せ物にする玩具として宮廷に雇われ、主君の公爵を愉しませるために憎まれ口を叩く。そんなリゴレットは宮廷で嫌われ、孤立している。
一方で彼が仕える公爵は、若く陽気な放蕩者。女性への情熱とフェロモンは天下一品だ。リゴレットの娘ジルダもその罠にかかる。ジルダだけではない。伯爵夫人から殺し屋の妹まで、彼に惹かれない女性はいないのだ。
リゴレットの孤独と公爵の官能。サージ演出は、そのコントラストを鮮烈に描く。「前奏曲」の間に浮き彫りになるのは、宮廷でのリゴレットの孤独だ。道化の衣装をまとうリゴレットを、周囲に巡らされた回廊に並ぶドアの向こうから宮廷人たちが冷ややかに眺める。「前奏曲」のメインテーマは「呪いのテーマ」。劇中ではモンテローネ伯爵がリゴレットを呪うが、実は宮廷人はみな彼を呪いたいほど嫌っている。その構図が一瞬で見通せる。なんと鮮やかな開幕だろうか。
孤独は暗く、官能は明るい。宮殿の広間には巨大な赤のシャンデリアがこうこうと輝き、華やかでモードな衣裳をまとった女性たちが優雅に踊る。ジルダが公爵に口説かれる場面では、彼女の清純さを象徴するような薄い青のタペストリーがラブシーンを彩る。第3幕の居酒屋のシーンでは、公爵と殺し屋スパラフチーレの妹マッダレーナが戯れ合い、殺し屋兄妹もまた絡み合う(本当に兄妹なのか?)。サージ演出は、人間の本性としての「官能」をくまなく描き出すのだ。「官能」の世界から疎外されているのは、リゴレットただ一人。なんという孤独だろう。宮廷での彼の孤独は、衝撃的なラストシーンで再現される。どの場面もクラシカルな要素と抽象的な要素が溶け合って、視覚的にも楽しめる。
今回の『リゴレット』の見どころは、もちろんサージ演出にとどまらない。明るい美声と劇的表現力で現代最高のヴェルディ・バリトンの一人と評されるロベルト・フロンターリ、透き通った声と鈴を転がすようなコロラトゥーラ、若さと美貌でジルダ役に理想的なハスミック・トロシャン、「オペラリア」コンクールで優勝し、スカラ座の『マクベス』マクダフ役が絶賛を博した期待のテノール、イヴァン・アヨン・リヴァスと、主役三人には第一線で活躍するキャストが揃う。さらに指揮がイタリアの名匠マウリツィオ・ベニーニとあっては、一期一会の名演が約束されたも同然だ。
やはり10年ほど前、モンテカルロの歌劇場で、ベニーニが指揮するヴェルディの『スティッフェーリオ』というオペラを見たことがある。『リゴレット』の一つ前の作品で、『リゴレット』の先駆けとも言えるオペラだ。その時のベニーニの指揮ときたら凄かった。ピットから湧き上がるエネルギーとテンション、自在なメリハリ、推進力とダイナミズム。ヴェルディの音楽が「ただごとではない」音楽であるということを、あれほど思い知らされてくれた指揮を筆者は知らない。
ひょっとしたら、6回の公演全部に通うかもしれない。そんな予感が頭をかすめるほど、今回の『リゴレット』は魅力的だ。どうぞ、お見逃しのないように。
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