オペラ公演関連ニュース

『タンホイザー』タイトルロール ステファン・グールド インタビュー


2023年、年明けにお届けするオペラはワーグナー『タンホイザー』。

官能の愛か、精神的な愛か......騎士タンホイザーの苦闘と救済を描く、ワーグナーの人気作だ。

タイトルロールのタンホイザーを歌うのは、ステファン・グールド。

この夏のバイロイト音楽祭でタンホイザー、トリスタン、ジークフリートを歌った世界的なヘルデンテノールであり新国立劇場のワーグナー作品でも『トリスタンとイゾルデ』トリスタン、そして「ニーベルングの指環」では4作のテノール役を歌い、大きな話題となった。

そんなグールドが、約4年ぶりに新国立劇場に帰ってくる。彼にとっても大好きな役だというタンホイザーについて、大いに語ってもらった。

ジ・アトレ誌11月号より

『タンホイザー』は人生の意味を模索する物語です

 ― グールドさんによるタンホイザーを日本中のオペラ・ファンが待ち望んでいましたが、ついに来年1〜2月、新国立劇場で実現し、とても嬉しく思います。ところで、先日までバイロイト音楽祭でタンホイザーのほか、トリスタン、ジークフリート(神々の黄昏)の3役を務められて大活躍でしたね。お疲れではないですか?

 グールド 正直に言って、今回のシーズンはかなり過酷でしたね。特にバイロイト音楽祭は、関わっている全ての人にとって容易ならざる音楽祭です。歌手だけでなく、指揮者とオーケストラ、舞台関係者、みんなにとって、常に大きな挑戦なのです。寄せられる期待はとても大きく、来場くださった方々だけでなく、世界中の人々から注目を集めます。でもそれだけにやりがいもあります。本当に素晴らしい時間でした。自分の好きな役を歌うことは、いつだって最高の経験です。そしてそのお気に入りの役が、今度皆さんにお届けするタンホイザーなのです。



 ― パンデミックを経て、バイロイト音楽祭も久しぶりの通常開催でしたね。

グールド バイロイト音楽祭も世界の音楽界も、やっと日常が戻りつつあります。バイロイトで満場のお客様を迎えることができて本当に良かったですし、舞台に立つ立場としてはとても感動的でした。ヨーロッパでも、当初は演奏会やオペラに行くことを皆さんが躊躇なさっていましたが、今年に入って再び多くの方が会場に足を運ぶようになりました。もちろんバイロイトでも出演者や舞台関係者に外出の制限とか、いろいろと規制はありました。とはいえ聴衆を迎えてのオペラは良いですね。



― 世界的ワーグナー歌手であるグールドさんが最初に歌ったワーグナー作品の役はタンホイザーですね。タンホイザーを務めることになった経緯をご紹介ください。

グールド ワーグナーの役は他にもいろいろと勉強し、準備をしていたのですが、最初にステージで歌ったのはタンホイザーでした。

 若い時にオペラのバリトン歌手として歌い始め、一時期はミュージカルの舞台にも立ち、そちらで何年か歌った後にオペラに戻り、ヘルデンテノールに転向しました。その頃『タンホイザー』は私にとって一種の練習曲というか、練習する上での重要な課題作品でした。でも、実際に舞台で歌えるまでは10年くらいかかるかな、とも思っていました。そんな時にオーストリアのリンツの歌劇場から「タンホイザーを歌ってみませんか? 今のあなたの声にとても向いていると思いますよ」と申し出を受けたのです。その時の演出は、当時はまだ若く、世界的に有名になる前のシュテファン・ヘアハイムでした。私としてはとても良いスタートでした。『タンホイザー』にはリリシズムがあふれていますが、これは『ニーベルングの指環』では見られないものです。いずれにせよ、私にとっては素晴らしい第一歩となり、今では全ワーグナー作品の中で最も多く歌っている作品となっています。

― タンホイザーはオペラ(ドラマ)の進行の中で常に、異界と現世の2つの世界の間で惑い続けているように思います。タンホイザーという人物像についてどのように捉えていらっしゃいますか? さらには、そこに描かれている世界観は、善と悪といった二項対立では推し量れないように思うのですが。

グールド 私もそう思います。第1幕は主にヴェーヌスベルクで物語が展開し、音楽も叙情的です。構造化された世界、つまり我々が住んでいる社会の外の世界に始まり、第2幕で現世へと戻ります。2つの世界の違いが音楽的に示されています。

 タンホイザーは、人生における真実を求める探究者です。彼は情欲的な愛の世界と、その対極にある精神的な愛の世界の間で真実を求めているのです。現実の世界で精神的な愛の世界を体現しているのがエリーザベトです。今回のバイロイトで私が演じたように、タンホイザーをアナキストと解釈することも可能ですが、結局彼は正しい道を模索する存在なのです。これは人間誰しもある部分ではないでしょうか。自らの内面にある精神世界の真実を模索しているのです。ただ、彼は決して満足しません。例えば、ひとたびヴェーヌスベルクに行くと途端に退屈し、捕らえられているような感覚を抱きます。そして現実の世界、つまり規則や約束事に縛られた、構造化された社会に戻るとまた不満を感じます。『タンホイザー』に人々が心惹かれるのは、その中に自分自身の人生の葛藤を投影するからではないでしょうか。『タンホイザー』は人生の意味を模索する物語なのです。確かにこれは芸術世界における冒険ですが、同時に人間世界における冒険でもあるのです。私たちは皆、ワーグナーが自分の人生の真実を模索し続けたことを知っていますし、彼が女性問題に苦しみ、その他の問題も山積していたことを知っています(笑)。



― タンホイザーは女性に愛される人物ですね。ヴェーヌスとエリーザベトという正反対の2人に共に愛されるその魅力は何だと思いますか?

グールド 2つの世界を象徴的に表現しているヴェーヌスとエリーザベトは、1人の女性というよりも、実は1人の女性の両面性を表していると解釈されることも多いのです。考え方によっては、全ての女性はヴァージンでありヴィーナスなのです。ですから、タンホイザーが多くの女性にもてたというよりも、1人の女性に愛されたと考えることもできます。



「ローマ語り」で問われるのは魂を赤裸々にさらけ出せるか否か


オペラ『ワルキューレ』2016年公演より


― 数多くのプロダクションで『タンホイザー』を歌われていますが、さまざまな舞台を経て、タンホイザーに対するとらえ方は変化していくものですか?

グールド  変わっていきますね。私が今まで経験した『タンホイザー』で素晴らしかったプロダクションは、必ずしも伝統的な演出とは限りません。演出家が独自の、独特な解釈をしたとしても、それが考え抜かれ、綿密な計算に基づくもので、作曲家自身が意図した基本的な構成に沿ったものであれば、抵抗はありません。今夏のバイロイト音楽祭『タンホイザー』の演出家トビアス・クラッツァー氏から最初のリハーサルで演出の概要説明を受けた直後は、確かに懐疑的なところがありました。しかし24時間後には、彼のプランに賛同していました。彼は驚くほど素晴らしい考えと構成、そして美を創り出そうとしていたのです。新演出に携わるとき、それが私の役柄に何か新しい知識をもたらし、学びの機会となるのなら、私はもうその舞台に夢中になってしまいます。演出家がシュテファン・ヘアハイムであろうとロバート・カーセンであろうと、変わりありません。彼らはみんな『タンホイザー』に対して異なる解釈を持っていましたが、いずれも、全体の構成から見て理にかなっていました。バイロイト音楽祭におけるクラッツァー氏は、リハーサルが始まる前から、人物を細部に至るまで緻密に構築していました。それだからこそ舞台は成功したのだと思います。ですから、100%同意できない解釈に出会ったとしても、それまで自分が気付かなかったような、何かしらの真実がそこにあれば、取り組むだけの価値があると私は考えています。

― 第3幕には『タンホイザー』のハイライトともいえる長大な「ローマ語り」があります。このタンホイザーのモノローグの持つ意味とアプローチの仕方についてお話ください。

グールド  音楽的な視点から見ると、これはまさにワーグナーからヘルデンテノールへの素晴らしい音楽の贈り物であり、私のお気に入りの箇所です。ワーグナーは歌手に、ただ単に音色や 旋律を美しく再現するだけでなく、役柄を解釈することを望んでいます。もちろんレガートなど歌唱技術的に留意すべき点はありますが、ここでは完膚なきまでに破壊された人物を描くことが求められています。肉体的にも、精神的にも、感情的にも破壊されてしまった人物です。演じる側が解釈に基づいて、自暴自棄になったタンホイザーをかなり醜く歌うことをワーグナーが許してくれている、と考えています。ただし、解釈をするときには、音楽以上に、そこに書かれている言葉から読み取らなくてはいけません。つまり「ローマ語り」はとても演劇的であり、公演ごとに表出する感情に変化をもたらすことが可能なのです。言葉、演技に説得力があってこそ、初めて舞台は聴衆にとって真実となります。聴衆に対して、果たしてタンホイザーは赤裸々に自らの魂をさらけ出すことができるか否かが問われています。皆さんがタンホイザーを好きか嫌いかは、実はここでは問題ではないのです。皆さんが彼の言葉を信じるか否かが問題なのです。



― そうですね、一歩間違えると大人向けのおとぎ話になってしまいますよね。


オペラ『ジークフリート』2017年公演より

グールド そうなんです。『タンホイザー』は、ある意味、シェイクスピアの『リア王』を思い起こさせます。物語そのものは決して複雑ではありませんが、最後に破滅に追い込まれる王の中に見る感情に人々は惹かれるのです。黒澤明は『リア王』から映画『乱』を製作しましたが、人々は戦闘シーンやあらすじに魅力を感じたのではなく、そこに表現された人間のあらゆる感情に引き込まれました。それぞれの登場人物から表出されるありとあらゆる人間感情こそが、この物語の魅力なのです。第3幕のタンホイザーのモノローグは、私からすると、まさにこのようなあらゆる感情の表出の場なのです。あらゆる感情が露わになる狂気の中に、人は真実を垣間見るのです。



聴衆、劇場、道のり 新国立劇場のすべてが大好きです



オペラ『神々の黄昏』2017年公演より

― 以前、海外メディアに「新国立劇場は第2の故郷」と語ってくださったそうで、ありがとうございます。久しぶりに新国立劇場に戻ってくる心境は?

グールド  再び新国立劇場のステージに立てるのは本当に楽しみですし、何よりも光栄なことです。それも私の大好きな『タンホイザー』での出演ですから。数え間違えていなければ、今回の『タンホイザー』は、私にとって新国立劇場での9つ目の演目となります。オペラをこよな く愛してくださる聴衆の皆様、素晴らしい劇場スタッフの皆さん、そして劇場までの道のりも、とにかく新国立劇場の何もかもが大好きです。


― 今回の日本滞在中にやりたいことなどありますか?

グールド  実は今朝も見ていたのですが、私は世界のどこにいてもどんなスケジュールでも、本場所中は大相撲を必ず見ています。相撲は、スポーツと伝統が見事に一体化しているのが素晴らしいですね。もしも日本滞在中に本場所が東京で開催されていたら、ぜひ行きたいです。お気に入りの力士を聞かれると困るほどたくさんいるのですが、怪我を乗り越えて横綱になった照ノ富士とか、引退してしまったけれど困難を乗り越えた魁皇、それから......ああ、止まらないですね(笑)。忙しい中でも、大相撲観戦は私にとってとても大切な時間なのです。


― 最後に、グールドさんのタンホイザーを待ち望んでいる日本のオペラ・ファンにメッセージを。

グールド  新国立劇場のウェブサイトにある『タンホイザー』の舞台写真を見たのですが、今までお話ししたようなタンホイザーに対する解釈が十二分に生かせるステージであり、聴衆の皆様にタンホイザーの感情を感じていただける舞台になると思いました。皆様の前に、それも『タンホイザー』で立てるのは本当に嬉しいですし、今から待ちきれない気持ちでいっぱいです。


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