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『夜鳴きうぐいす/イオランタ』の演出家 ヤニス・コッコスインタビュー

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ヤニス・コッコス

新制作『夜鳴きうぐいす/イオランタ』の演出・美術・衣裳を担うのは、舞台美術家・演出家として世界の歌劇場で名プロダクションを上演している名匠ヤニス・コッコス。

 新国立劇場では2019年オペラ研修所試演会『イオランタ』を演出。象徴的な舞台美術と小劇場の空間を生かした演出で、作品世界を現出させた。

 春のオペラパレス公演では、研修所試演会とは異なる、新たなアプローチをするという。ストラヴィンスキーとチャイコフスキーのオペラを同時に上演することで見えてくる世界とは?

ジ・アトレ誌3月号より



本当の意味での舞台作品をつくれた研修所試演会

――コッコスさんは2019年に新国立劇場オペラ研修所試演会『イオランタ』を演出し、そしてこの春5月に『夜鳴きうぐいす/イオランタ』を演出なさいます。

コッコス  この素晴らしいプロジェクトは、大野和士マエストロのご尽力で実現します。大野さんとはヨーロッパでこれまで2度コラボレーションし、考え方や感性に共通するものを感じました。このことは私にとって大変重要なことです。日本にうかがうオファーを大野さんからいただけて、そして新国立劇場の皆様と再びご一緒できることが心から嬉しいです。

 『イオランタ』をオペラ研修所試演会として演出したのち、その後全く異なった条件で再び演出するというプロセスは、大変興味深いと思いました。そして研修所試演会は、5月のオペラパレス公演の前段階としてではなく、このときの状況下での独自の公演として取り組みました。



――オペラ研修所での舞台制作はいかがでしたか?


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オペラ研修所試演会『イオランタ』より

コッコス <私にとって初めての日本で、日本人出演者との仕事も初めてでしたが、素晴らしい体験でした。いつも作品作りを共にしている妻アンヌと2人で、新国立劇場の各部署の皆さんと仕事をしましたが、コミュニケーションも大変スムーズにとれ、本当の意味での舞台作品を作ることができました。

 そして、とても優れた若い歌手の皆さんに出会い、一緒に作品をつくれて大変嬉しかったです。例えばイオランタ役は、ダブルキャストの2人とも演じ方が素晴らしく、私にとって理想的な役への入りかたでした。

 皆さんの準備ぶりも大変印象的でした。音楽の準備が完璧だった上に、ヴィタリ・ユシュマノフさんの指導のおかげでロシア語も完璧でした。また、指揮者やピアニストとの稽古の中で音楽的にさらに成長していった過程など、全てを通して私にとって理想の舞台に仕上がっていきました。つまり、贅沢な舞台装置などで見せる舞台ではなく、作品の本質を捉えた舞台です。若い皆さんの存在や高い能力のおかげで、私自身、『イオランタ』に関して多くのことを理解することができました。本当に良い経験でした。

 若い歌手の皆さんですから、経験の少なさゆえのぎこちなさもありましたが、それはポジティブなものと私は考えます。経験が少なくても、知識やモチベーション、感性があれば、非常に興味深い、稀有な結果が生まれるのです。


両極端といえるほど異なる2作 しかしそこには共通した主題が

コッコスによる舞台スケッチ『夜鳴きうぐいす』




――『夜鳴きうぐいす』と『イオランタ』、この2作をこれまで何回演出なさっていますか?

コッコス どちらも初めてです。『イオランタ』は少し研究したことがあり、主題も音楽も物語もとても好きな作品です。4月の公演は、研修所試演会とは異なるアプローチをします。

――『夜鳴きうぐいす』『イオランタ』それぞれ作品の主題をどのように考えますか。共通点はありますか。

コッコス 『夜鳴きうぐいす』は他の作品と同時上演されることが多いですが、『イオランタ』と組み合わせるのはとてもいいアイデアだと思います。音楽的には両極端といえるほど異なる2作品ですが、潜在的に共通した主題を有していると私は考えます。

 『夜鳴きうぐいす』でストラヴィンスキーは、きらびやかで愉快な異国趣味を超えたところで、誠実さと真の芸術について伝えようとしています。芸術において真実、真正さに勝るものはないと。そのために、外見はとても地味な、しかし世界一の美声の持ち主である本物のうぐいすと、日本の大使団がもたらす機械仕立てのうぐいすを対立させます。このあたり、日本の皆さんにとっては気持ちのいいものではないと思いますが、フィクションとご理解ください。大使たちが持ってきた鳥はとても上手に歌いますが、機械なので質が違うのです。

 一方『イオランタ』ですが、盲目の若い姫イオランタは父親によってほぼ監禁状態なので、目が見えないという事実を知らない幻想の中にいます。つまり、イオランタは嘘の中で暮らしています。そんな彼女の人生に「愛」が突如現れ、誠実なやりとりの中で盲目について本人に知らせます。また、遠い世界からやって来た医師が、盲目を受け入れたら、つまり現実を自覚すればそれを超越できると伝えます。従って『イオランタ』も真実について語っていると言えます。

 対極的な芸術世界をもった2作品ですが、どちらも絶対的なものとしての真実を伝えようとしています。つまり共通した主題があると私は考えます。



――ではどのように演出なさいますか?

コッコス  まず『夜鳴きうぐいす』ですが、初演当初のディアギレフの意図と異なる扱いをする決断をしました。ディアギレフは、歌手はオーケストラピットで歌い、舞台では舞踊が展開し、ダンサーが各役を演じるものと考えました。この形はもちろん非常に面白く、傑出した舞台も世に送り出されました。その後も様々なバージョンがつくられ、たとえばエクサンプロヴァンス音楽祭でのロベール・ルパージュ演出は、水の上で物語が展開するという、とても想像力豊かで美しい解釈だと思います。

 そして私たちは『夜鳴きうぐいす』を演劇的なものへ揺り戻す選択をしました。ストラヴィンスキーは、アンデルセンのおとぎ話を楽しげな視点で扱っていて、中には軽快、もしくは軽薄ともいえる要素があります。たとえば「死」は絶望的な視点では描かれていません。暗くはないのです。

 また『夜鳴きうぐいす』の作曲時期が2つに分けられる点も重要です。第1幕を作曲したときストラヴィンスキーはまだ19世紀音楽の世界に属していましたが、第2・3幕作曲時、彼の書法は変化を遂げ、現代的な音楽へと向かっていました。この違いは非常に明白で、私たちはそれを引き受けようと考えました。第1幕と第2・3幕を別ものにするわけではありませんが、この特徴を表したいと考えています。

 演出は私とアンヌ・ブランカールと共同で進め、友人でもある振付家ナタリー・ヴァン・パリスが振付を担当します。今回、助演のマイムが主要登場人物を補う役割をするので、彼らに様式化した動きをつけます。この振付は、現代のさまざまなことを想起させつつ、『夜鳴きうぐいす』が異国趣味の作品であることを伝えます。西洋の目から見た異国趣味です。西洋の目を通した東洋であり、西洋の視点と、物語の現実とをめぐる遊びの要素が含まれています。

 『夜鳴きうぐいす』が、異国趣味の視線の先だった国で上演される点は重要だと私は考えます。異国趣味はしばしば植民地主義的な視点でもありました。ストラヴィンスキーの視点は違いますが、しかし『夜鳴きうぐいす』は異国趣味の視線から東洋を見ていた時代に想像された世界を展開しています。この点は、私たちが意識すべき大変重要なポイントです。作品には常に裏の意味があるのです。



――そして、先ほど述べられた共通の主題のもと、同じ舞台上で『イオランタ』も展開するのですね?

コッコス  その通りです。『イオランタ』は、中世の南仏を舞台にしたおとぎ話ですが、私はどの時代にも属さないようにしたいと考えています。同時に、おとぎ話扱いをしない、つまり、より現実に根ざすようにします。ストーリーが空想の世界にとどまらないよう、より直接的に感じられるものを通して、真実の側面について語りたいと思います。

 研修所試演会の『イオランタ』はミニマリズムの精神に基づいて制作しました。今回も、黄金の立木やライトなど、研修所試演会でのいくつかの要素が再び舞台に登場するでしょう。前回の『イオランタ』の記憶を存続させたいと私は強く思っております。ですが、全体として、少し叙述的にするつもりです。そうすることで、夢想的、空想的な世界でありつつ、やや具体的な空間にしたいのです。



――コロナ禍でのプロダクション制作です。通常通りにいかないことが多いのでは?

コッコス  やはりソリストや合唱の位置、距離などについては配慮しています。非常に複雑で大変な問題です。特に『夜鳴きうぐいす』はダイナミックな作品にしたいですから、演出に悪影響のない解決方法を考えています。もちろん公演のタイミングで状況が改善し、より普通の形で稽古できるようになれば......という希望は持ち続けています。常に"ダモクレスの剣"のような状況です。直近の未来の不確実さが、あらゆる人を心理的にも全く不安定な状態にしています。あるいは、この状態が各々の扉を開いて、今までとは違う世界へと導かれていくのかもしれませんが。


作品が現代のものとして生き続けるために

コッコスによる舞台スケッチ『イオランタ』

――今回のプロダクションでは演出だけでなく、美術、衣裳もコッコスさんが担当しますが、いつもすべて担当なさっているのでしょうか。

コッコス  私はもともと舞台美術デザイナー、衣裳デザイナーとして多くの演出家と仕事し、美術も衣裳もドラマツルギーからの視点で取り組んでいました。その仕事の延長線上として、自然の流れで演出の仕事をするようになり、今日に至っています。

  1人ですべてを担当することは、総合的なビジョンをもてる点ではプラスといえますが、時にマイナスになることもあるかもしれません。対立があることで興味深い結果を生むこともあるでしょうから。とはいえ、そのような会話や対立という一種の論法は、私の場合、一緒に仕事をする人たちと常に行っていますので、マイナスになる危険はないと自負しています。



――演出におけるコッコスさんの信条とは?

コッコス  いつも「初めて」という心がけで取り組んでいます。すでに取り組んだことのある作品を再び演出するときもです。培った経験というものは、重要でない問題に時間をかけすぎないようにするためにのみ生かします。

 毎回、私は作品をとても愛し、作品のために仕事をします。作品を「翻訳」する自分なりの方法を探して、台本、音楽、作品のもつ世界観に取り組みます。また、最終的に舞台上に表れることがなくても、作品が作られた時代の思想、社会問題へもアプローチします。各時代の社会特有の心理など、あらゆるものが作品に内包されているので、それらを消してしまうと作品の内実の一部が失われてしまうからです。とはいえ、私たちは現代の人間です。そこで私が演出する際に最も大切に考えることは ─新作ではなく、既存の作品の場合ですが─ 先ほど述べた作品の内実を取り去らずに、作品が現代のものとして生き続けるにはどうしたらいいか、です。昨今の演出の中には、作品の根を形成している部分を忘れ、現代に置き換えることのみで作品の大きな側面が失われてしまっているものがあります。そうすると、作品は逆に平凡になってしまう。作品の詩的な部分がなくなり、ありふれたものになってしまうのです。私は詩的な部分に魅かれます。お客様が作品を理解する上でも楽しむ上でも、詩的な部分は重要だと考えます。



―『夜鳴きうぐいす/イオランタ』は作品の詩的な部分を大切にした舞台となるのですね。4月の公演を楽しみにしております。




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