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オペラ『フィレンツェの悲劇/ジャンニ・スキッキ』演出 粟國淳 インタビュー


大野オペラ芸術監督が掲げた5つの柱のひとつ「ダブルビルの新制作」にあたる公演、それがツェムリンスキー『フィレンツェの悲劇』とプッチーニ『ジャンニ・スキッキ』だ。

新国立劇場の新シーズンを象徴する公演のひとつであるこの2作を演出するのは、新国立劇場『ラ・ボエーム』などでおなじみ、粟國淳。

イタリア・オペラの演出を数多く手掛ける粟國にとって、『ジャンニ・スキッキ』はすみずみまで知り尽くした作品のひとつ。そして『フィレンツェの悲劇』は初演出となる。

今回のダブルビルへの思いをうかがった。


ジ・アトレ10月号より


多くの接点がありつつ、
タイプが全く異なるフィレンツェの2作

粟國 淳

――粟國さんが演出なさるフィレンツェを舞台にした2作品は、2018/2019シーズン注目の新制作のダブルビルです。

粟國 私がオペラ研修所公演で演出した『ジャンニ・スキッキ』の映像をご覧になった大野監督から、オペラパレスで新演出を、とお話をいただきました。しかも、『外套』『修道女アンジェリカ』との「三部作」ではなく、ツェムリンスキーの『フィレンツェの悲劇』とのダブルビルにしたいと。『ジャンニ・スキッキ』は何回も演出していますが、『フィレンツェの悲劇』を演出するのは初めてです。私は「イタリア・オペラの演出家」に分類されがちなので、ドイツ語のオペラの依頼が来たことはすごく嬉しいですね。

『フィレンツェの悲劇』と『ジャンニ・スキッキ』の組み合わせは決して無理矢理ではなく、実はいろいろな接点があるんです。大野監督はそこを繋げたかったのでしょう。

――2作の接点とは?

粟國 まずは両作ともフィレンツェが舞台の話です。ただ実際のところ、フィレンツェでなくても、ベルリンでも東京でもどこでもいい題材なのですが。また、面白いことに、プッチーニも『フィレンツェの悲劇』を作曲しようと興味を持ったことがあるのですよ。そして、1917年に『フィレンツェの悲劇』は初演し、『ジャンニ・スキッキ』は作曲した、同時代の作品です。さらに両作のテーマが近いのです。『フィレンツェの悲劇』はグロテスク、黒の世界。『ジャンニ・スキッキ』は一見コメディのようですが、内容はブラック・ジョークで人間のエゴ、欲望を描いています。このように多くの接点のある2作が、音楽やドラマの表現が全く違うのも面白いです。

――音楽、ドラマが違えば、演出の手法も違うのでしょうね。

粟國 プッチーニのオペラを演出するのは実は難しいんですよ。彼は「劇」を作曲した人で、ト書きのように舞台上の動きが楽譜に示されているので、演出家の入れる余地が本当に少ないんです。歌詞に書かれた動作をするにも、その小節と小節の間(ま)でやらねばならないので、動きが決まってしまう。私は、楽譜上のちょっとした隙間を見つけて演出していくのですが、プッチーニが「それをやっちゃダメ」と言っているようで(苦笑)、その駆け引きが難しい。『ジャンニ・スキッキ』はどの役も重要で、たとえフレーズが短くても、正しいタイミングで言葉を歌わないと劇が成り立ちません。難しいですが、それこそがプッチーニが望んでいた動きなのです。

 『フィレンツェの悲劇』は、指揮者、オーケストラ、歌手がいかに音楽を膨らませられるか、それにより世界観がより大きくなる作品です。登場人物は3人だけ。主役のシモーネが、多くのモノローグを経て、最終的な悲劇へと仕向けていくのですから、役者さながらに音楽を表現しないといけない難しさのある作品です。

――接点がありつつ方向性の異なる2作品を、どんな舞台で見せてくださるのでしょう。

粟國 フィレンツェでリンクさせる舞台......2作を同時に考えましたが、登場人物の数も、音楽のスタイルも異なるので、一方に合っても、他方には全く合わない。大野監督に「このダブルビル無理です!」と言おうかと思ったくらい(苦笑)行き詰りました。そこで、二作同時に考えるのではなく、別々に作品に適した空間を作ってみることにしました。装置家は大変だったと思いますが、舞台案を作っては壊し、を繰り返し、2作の個性がはっきり見えたところで、2作を同じ空間で展開するにはどうしたらいいかを考えていったのです。



美しい町フィレンツェの裏には
グロテスクな人間ドラマがある

「フィレンツェの悲劇」セットプラン

――『フィレンツェの悲劇』はどんな舞台になりますか?

粟國 まず、両作品とも「花の都フィレンツェ」を感じさせる舞台にしたいと考えています。ルネッサンスが起こり、町そのものが美術館のようなフィレンツェですが、その裏はドロドロで権力争いや殺人が起こっていました。美しい町には、それと正反対な下衆なストーリーがある。そんなコントラストを見せたいと思っています。

『フィレンツェの悲劇』は、美のフォルムが崩れた大きな舞台セットの空間で、3人の腹の底から湧きあがる感情を描き出します。原作はオスカー・ワイルドによるデカダンス主義の文学です。『フィレンツェの悲劇』の結末は何を言いたいのか、そこも突き詰めても意味がないんです。あの結末こそが挑発であり、デカダンスなのです。シモーネが妻の愛人を殺したあと、自分たちの本当の気持ちを爆発させ抱き合うというグロテスクさ。今の時代の、結果さえ出ていれば周りはどうでもいいという風潮と、多少似ているのかもしれませんね。

――では『ジャンニ・スキッキ』は?

粟國 ミクロの世界に入ったような舞台セットで、人間のちっぽけさを表現したいです。ブオーゾが亡くなったという知らせを受けて集まった親戚たちは、遺産の分け前しか考えていない、本当に小さい人間です。しかも彼らとブオーゾの関係は親・兄弟・子ではなく、義弟、いとこ、甥など。宝くじが高額当選したら会ったことのない親戚がやってくるといいますが(笑)、まさにその状況です。そんな人間の欲望のグロテスクさを描き出します。

この物語、実はジャンニは何も盗んでいないんですよ。「ジャンニが皆をだました」というイメージをお持ちと思いますが、でも、テキストを読んでいくと、ジャンニは彼らが望むものを希望通りに分け与えているだけ。ただし最後に残った最も価値ある「家」「ラバ」「粉挽き場」は、みんながジャンニの判断に任せたので、それを「友達のジャンニ・スキッキに渡す」と言った。エゴの塊へのしっぺ返しなんです。でもこれも、実はラウレッタとリヌッチョのためにやったことで、「あとは次の世代に任せてみましょう」とどこかボジティブな隙間を残して終わるのが、とてもイタリア的な作品だと思います。

――時代設定はどのようになさいますか?

粟國 『ジャンニ・スキッキ』は本来ルネッサンスの少し前の時代ですが、イタリアの戦後、1950年代に設定します。現代に近い衣裳にする事で、ジャンニを取り囲む沢山の登場人物達の性格を視覚からも捉えて頂く事ができる共に、この時代設定の方が作品の持つグロテスクさをより表現できると考えました。どの国も戦後はみんなで助け合って生きていましたが、復興してくると「自分さえよければいい」という欲が出てくる。そんな戦後の1950年代に『ジャンニ・スキッキ』の物語はよく合うと思います。

『フィレンツェの悲劇』の時代設定は、当初オスカー・ワイルドの生きた時代、1800年代終わりにしようかと思っていました。しかしその時代の決闘となると、使うのはピストルか?というところで、何か違和感を覚え、原作とも違う1700年代にしました。どうしてもこの決闘は、睨み合う者同士がその殺意に満ちた熱い息を感じる距離で、自身の手が血に汚れるようなグロテスクなやり方でないといけないと思ったのです。

――指揮は沼尻竜典さんです。

粟國 びわ湖ホールで何度もご一緒させていただいています。音楽をまさに劇にしてくださるマエストロが『フィレンツェの悲劇』と『ジャンニ・スキッキ』でどのような世界観を作ってくださるか、とても楽しみです。



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