《たっぷりシェイクスピア!》演劇講座 vol.1シェイクスピアの台詞の音楽性 【講師:河合祥一郎】

マンスリー・プロジェクト11月

連続講座 たっぷりシェイクスピア! Vol.1「シェイクスピアの台詞の音楽性」

講師:河合祥一郎(英文学者・東京大学大学院教授)

2016年11月11日[金]・12日[土] 情報センター

 

シェイクスピアは難しいとか、なんであんなに長い台詞をわざわざ言うのかといった話をよく聞きます。シェイクスピアを理解しようとして作品の粗筋を知ったところで結局「ふーん」でおしまいになってしまう。じゃあどこをどう理解すればシェイクスピアの面白さがわかるのか。まあ、粗筋については、わたしも本を出していますので、それはそちらで確認していただくことにしまして、今日はシェイクスピアの本質は台詞の音楽性にあるという観点から、台詞の響きについて語っていきたいと思っています。

 

           河合祥一郎氏

 

『マクベス』から検証するシェイクスピアの台詞の音楽性

去年、『夏の夜の夢』と『ハムレット』を絵本にして英語と日本語のCDを付けるという仕事の監修をさせて頂き、英語はネイティブのイギリス人に吹き込んでもらい、日本語は文学座の面々に吹き込んでもらったのですが、そのときも台詞の音楽性を強調してやりました。シェイクスピアのすべての作品に音楽性があるわけですが、今日はまず『マクベス』を取り上げましょう。『マクベス』はわたしが2008年に野村萬斎さんのために翻訳して、世田谷パブリックシアターでまずリーディングがなされてから、萬斎さんの演出で5人だけで上演されました。3人の魔女を高田恵篤さん、福士惠二さん、小林桂太さんが演じ、マクベス夫妻を萬斎さんと初演は秋山菜津子さんで、再演のときには鈴木砂羽さんが演じました。マクベス夫妻以外の役はすべて魔女が演じるという公演です。

 

その出だしの部分をまず日本語で読んでいきます。ある種のリズムがありますが、それは英語の原文のリズムを反映したものです。 高田さんが魔女1、魔女2は福士さん、魔女3は小林さんです。ちょっと真似て読みますね。

 

  魔女1 いつまた三人、会おうかね? 

      雷、稲妻、雨の中?

  魔女2 騒ぎが終わったそのときに

      戦(いくさ)に負けて勝ったとき。

  魔女3 それなら日没前だろね。

  魔女1 落ち合う場所は?

  魔女2         あの荒地。

  魔女3  そこで会うんた、マクベスに。

 

リズムがあることがおわかり頂けると思います。わたしから何の注文をしなくても、役者たちは今読みあげたリズムでやってくれました。原文を紹介します。英語のリズムだけ聞いてください。

 

  First Witch:  When shall we three meet again?

         In thunder, lightning, or in rain?

  Second Witch: When the hurlyburly's done,

         When the battle's lost and won.

  Third Witch:  That will be ere the set of sun.

  First Witch: Where the place?

  Second Witch:       Upon the heath.

  Third Witch:  There to meet with Macbeth.

  

赤いところが強く読むところです。1行に強いところが4回あり、強で始まって、弱で終わる。これを「強弱四歩格」といいます。のちにシェイクスピアの韻文は普通は「弱強五歩格」だという話をしていきますが、ここでは強弱が4回繰り返されています。しかも色を変えましたが、1行目の最後の again という言葉と、2行目の最後のrainが同じ音で終わっています。これを押韻(ライム)と言います。3行目、4行目もdone、won、sun で同じ音でライムしている。Heath と Macbeth がライムしている。こういう言葉遊びがあって、なおかつ、1行に4回強いところがあるわけです。

音節を調べる重要性

英語を学生たちに教える場合、音節を調べなさいと言います。たとえば雷だったらThun-der(サン-ダー)、二音節です。辞書を引いて、サンダーなのか、サンダーなのかを辞書で調べれば、サンダーと前が強い、強弱なんだとわかります。稲妻はライトニング、ライトが強い。こういうふうにして強いところに印を付けていくことをスキャンション、韻律分析と言いますが、これを学生にさせるのです。それじゃ、辞書を引かなくてもいいネイティブなら、生まれたときから英語を話している人なら、英語の韻文をさっと読めるのかと言ったらそうではなく、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのようにシェイクスピアを専門にやっている劇団でも、若い俳優さんにはヴァース・リーディングといって韻文を読む訓練をしないといけない。どうしてかと言うと、普通のネイティブは、In thunder, lightning, or と orは強く読まない。orは強く読みましょうと教えてあげないと韻文のリズムにならないのです。また、機械的にリズムに乗りさえすればいいかというとそうでもない。一行目 When shall we three meet again? これはリズムに乗ってよさそうに思えるんですが、実際舞台で役者さんに言わせると When shall we three meet again? と必ず言います。どうしてかと言うと、意味の重要なところを強く言いたいから。つまり、「いつまた三人会おう」というのでは三人が重要だから、リズムをあえてひっくり返したりするんですね。こういうふうにときどき、基本的にきれいに強弱強弱が進んでいるようでいて、実は乱れているところが何カ所か出てくる。他の作品、『ハムレット』でも『オセロー』でも、全部スキャンションしていくと、ここは乱れているというのが出てきて、乱れているところは、そこに意味がある、そこの単語を強調したいというのが見えてきます。

強弱四歩格の例

次に、強弱四歩格を、わかりやすく強弱ごとに、縦の線を入れて、分割しました。

 

   強弱四歩格(trochaic tetrameter)

  When the┃hurly- ┃burly's ┃done,

  When the┃battle's┃lost and ┃won.

  That will be┃ere the┃set of┃sun.

  Where the┃place

           Up-┃on the┃heath.

  There to┃meet with┃  Mac-┃beth.

 

5行目の台詞が右に寄っているのにご注目ください。これは実はその前の4行目の台詞とセットになっていて、合わせて強弱四歩格になっているんですね。歌舞伎の割り台詞と同じでひとつの台詞を二人の役者で分けて言うということが、シェイクスピアではしょっちゅうあります。ハーフラインと言いまして、一つのリズムを役者で分ける。つまり、Where the place? Upon the heath で一行が完成する。「落ち合う場所は? あの荒地」(「オちあうバしょはアのあれチ」と印をつけた箇所を強く読む)で「あの荒地」は別の人が言っているんだけど、四拍から成る一行のリズムです。

 

面白いのは、その次の「そこで会うんだマクベスに」のときの There to meet with の次に「強」がくるはずなのに「強」がなくて、空白が入っていることです。つまりシェイクスピアはそこに半拍分の間を入れるように指示を出していることになります。There to meet with(半拍の間)Macbeth と言っている。『マクベス』の芝居の中で、いちばん最初に出てくる重要な瞬間ですから「そこで会うんだ」のあと溜めるわけです。溜めておいて、お客さんが「何?」と思った瞬間に「マクベスに」と言う。これがシェイクスピアにおける言葉の音楽性です。あたかも言葉が音符のようになっていて、どこに休符が入るか決まっているんです。

 

有名な「きれいは汚い。汚いはきれい。飛んでいこうよ、霧と汚れた空の中」というのも、歌うような四拍のリズムになっています。

  

  Fair is┃foul, and ┃foul is ┃fair;

  Hover through┃th'fog and┃filthy┃air.

 

  きれいは汚い。汚いはきれい。

  飛んで行こうよ、霧と穢れた空の中。

  

調子のいい感じで書かれている。なので、日本語でやるときにも、歌うような調子でやるのがいいですね。呪文を唱えるような調子のよさがあれば、魔女たちの怪しげな雰囲気というのもこのリズムの中で表現されます。

マザーグースにみる強弱四歩格

 強弱四歩格というのは、英語の童謡マザーグースの中に頻繁に出てきます。ここで、マザーグースのリズムを確認してみましょう。

  

  マザーグース(ナーサリーライム)

  Eeny,┃meeny,┃miny,┃mo,

  Catch a┃tiger┃by his┃toe;

  If he┃squeals,┃let him┃go,

  Eeny,┃meeny,┃miny,┃mo.

  

これは数え歌で「ひーふーみーよー」というふうにして数えていく、それが、"Eeny, meeny, miny, mo."という数え歌です。2行目、Catch a tigerとなっていますが、むかしはnigerだったんですよ。「クロンボ捕まえて」というのはいけないから「トラを捕まえろ」となった。"If he squeals, let him go,"「喚いたら離してやりな」、"Eeny, meeny, miny, mo."「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ」で、四歩格あって、行末は mo toe go moと全部「オウ」でライムしている。こういうライムがあるから、マザーグースのことを「ナーサリーライム」とも言います。

 

もう一つ、マザーグースの例を見てみましょう。 

  

  Georgie | Porgie, | pudding and | pie,

  Kissed the | girls and | made them | cry;

  When the | boys came | out to | play,

  Georgie | Porgie | ran a- | way.

  

ジョージー・ポージーは男の子の名前です。"Georgie Porgie, pudding and pie," ジョージー・ポージー、プディングにパイ。リズムを整えるための言葉でとくに意味はありません。"Kissed the girls and made them cry;" 女の子たちにキスをして、女の子たちを泣かせちゃった。"When the boys came out to play," 他の男の子たちが遊びに出てくると "Georgie Porgie ran away." ジョージー・ポージーは逃げちゃった。

これは童謡として歌うときもありますし、「やーいやーい」みたいに囃して言うこともあります。Pieとcryがライムしていて、play と awayがライムしています。これがマザーグースです。

 

そして、魔女の四歩格に戻ります。まずは日本語の翻訳です。

 

 魔女2 4度鳴いたよ、針鼠。

 魔女3 時間か来たぞと化け物鳥

 魔女1 釡のまわりをぐるぐる回り

     毒のはらわた、放り込め、

     まずはこれなるヒキガエル、

     冷たい石の下に寝て

     ひと月かいた毒の汗、

     魔法の釡で煮込みましょ。

 全員  増やせ、不幸を、ぶつぶつぶつ、

     燃やせ、猛毒、ぐつぐつぐつ。

  

これが英語では、こうなります。

 

 2nd Witch  Thrice, and once the hedge-pig whin'd.

 3rd Witch   Harpier cries: 'Tis time, 'tis time.

 1st Witch   Round about the cauldron go;

         In the poison'd entrails throw.

         Toad, that under cold stone

         Days and nights has thirty-one

         Swelter'd venom, sleeping got,

         Boil thou first i'th'charmed pot.

   All    Double, double toil and trouble:

         Fire, burn; and, cauldron, bubble.

 

ちなみに『ハリー・ポッター』の中にこの台詞が出てきます。知っていると『マクベス』の台詞が出てくるんだなということがわかります。行末で色を変えましたけど、gothrowstoneonegotpottroublebubble 2行ずつライムしています。ライムは歌のときとか、初期の喜劇に多いですが、後期の劇ではライムを外していくんですね。たとえば『から騒ぎ』はライムが少ない作品です。初期喜劇の『まちがいの喜劇』を訳したときにはライムが多くていてたいへんでした。『夏の夜の夢』の妖精パックはマザーグースと同じく四歩格の台詞を語ります。『夏の夜の夢』の出だしあたり、妖精パックが通りかかった別の妖精に話しかける台詞から読んでみましょう。

 

  『夏の夜の夢』より

  Puck  How now, spirit! Whither wander you?   

  Fairy Over hill, over dale,            

      Thorough bush, thorough briar,       

      Over park, over pale,           

      Thorough flood, thorough fire,       

  

      I do | wander | every- | where,     

      Swifter | than the | moon's |sphere;   

      And I | serve the | Fairy | Queen,      

      To dew | her orbs | upon | the green.   

   

         どうした、妖精、どこへ行く?

         丘を越えて、谷越えて、

         いばらをくぐって、やぶ抜けて、

         かこいを越えて、さく越えて

         水をくぐって、火を抜けて

         あたしはさすらう、どこへでも。

         月より速く、どこまでも。

         妖精のお妃さまに仕えるあたし。 

         緑の露の輪、描けば、めでたし。

     

強弱が4回繰り返されて、しかも行末がライムしている。Queengreen のライムは日本語であたしめでたしと「たし」を同じ音にすることによって表現しました。たとえオヤジギャグと言われても、日本語でもかろうじてライムさせたわけです(笑)。これを上演するとお客さんの反応としては、聞いたそのときには「ライムのことがあまりよくわからなかった」という反応がわりとあります。英語で "I do wander everywhere, Swifter than the moon's sphere;" と言われても、where sphere がライムしたとは頭ではっきり理解しなくともライムが耳に残って、なんとなく心地いい程度。それがシェイクスピアの狙っている感覚なんだと思います。

 

リズムを耳で聞く心地よさ。『夏の夜の夢』を例に。

心地よさはミュージカルを聞きにいくと、わかります。たとえば『RENT』が初演から20周年で、オリジナル演出版で7年ぶりに来日します。『RENT』の歌詞はライムがいっぱいありますから、それを聞いたときに、心地よいとか、いまライムしたとか、感覚をつかめると思います。

さて、強弱四歩格というリズムを作るために、シェイクスピアがどんな苦労をしているのか。妖精パックの台詞を例に見てみましょう。

パックが妖精の王様オーベロンに命じられて、魔法の汁を恋人たちにかけに行けと言われて、恋人たちはどこだと探しているときの台詞です。

 

  『夏の夜の夢』のパックの台詞   

  Night and silence-Who is here?     

  Weeds of Athens he doth wear:     

  This is he my master said        

  Despised the Athenian maid;      

  Churl, upon thy eyes I throw      

  All the power this charm doth owe.   

    

    夜は静かだ。こりゃ誰だ

    服はアテネの見てくれだ。

    これだな、王がいってたやつ。

    アテネ娘をふったやつ。

    魔法にかかれ、この野郎

    その目にたっぷり塗ってやろう

   

野郎やろうで言葉で遊んでいるわけです。おもしろいのは、この言葉の構造です。"Night and silence, who is here?" 直訳するなら「夜と沈黙、ここにいるのは誰だ」となる。「It's very silent here」とか言っている場合ではない。強弱四歩格のリズムに乗っていかなければいけない。このリズムに乗っていくことは、役者にとってはシビアです。どうしてかと言うと、普通の役者さんだったら「夜は静かだなあ」という表現をしてから、寝ている人を見つけて「あれ、これ誰だ?」とやっていくのが演技の基本。原因があるから、その行動が出てくる。野村萬斎さんがいちばん最初にハムレットを演じたときに、演出のジョナサン・ケントからきつく言われた言葉が、"act on line"――気持ちを作ってから台詞を言うのではなく、台詞を言いながらその気持ちを作れということ。つまり、夜は静かだなあという気持ちを作っておいて、そのあとで寝ている人を見つけて「あれ?誰だ?」ってやっていたら間に合わない。「夜は静かだ。コリャ誰だ?」と早いリズムで調子よく進めなければいけない。"Night and silence" といっているときに、寝ている人を見つけなくてはいけない。切り替わりを早くしていく。これをやっていくとリズムに乗っていけるわけです。

 

『ロミオとジュリエット』は今普通に上演すると3時間近くかかりますが、シェイクスピアが書いたテキストに上演時間は2時間だとあります。どうしてそんなに短くなるかと言えば、Act on line を徹底的にやってテンポをきちんと押さえれば可能なんですね。それがシェイクスピアが求めていたことだと思います。これは聞いているお客さんには心地よく、役者には辛いです。気持ちから台詞を言うのではなくて、ある種、型で台詞を言う必要も出てくる。わたしが野村萬斎さんと仕事をよくする一つの理由でもあるのですが、古典芸能の世界はシェイクスピアと通じるところが多いんです。妖精パックの台詞をもう少し見てみましょう。恋の三色すみれの魔法にかかってしまったディミートリアスがヘレナを追いかけてやってくるときの台詞です。

   

  Captain of our fairy band,          

  Helena is here at hand;           

  And the youth, mistook by me,       

  Pleading for a lover's fee.          

  Shall we their fond pageant see?      

  Lord, what fools these mortals be!    

   

    申しあげます、さまに

    ヘレナが来ますよ、いままさに

    おいらが間違えた男もいっしょ 

    ヘレナを口説いて汗びっしょ

    さ、バカげた芝居を見てみましょ

    ほんと、人間ってなんてバカなんでしょ!

   

シェイクスピアは「人間はなんて愚かなんだろう」ということを何気なく妖精パックに言わせています。その当時の思想に、人文主義思想(ヒューマニズム)というものがあり、「人間は根本的に愚かであり、その愚かさを認識したときに初めてよりよくなれる」という考え方がありました。「わたし、失敗しないので」などと言える人間はいないはず(笑)。むしろ自分の欠点や愚かさを認めたほうがより人間らしい生き方ができるという考え方です。シェイクスピアのお芝居の中に道化がいっぱい出てくるのはそのためです。道化は、単にふざけておちゃらけるだけではなくて、「あんた馬鹿だよ」って教えてあげる役割を担ってるんですね。なんで教えてあげることができるかというと、おいらも馬鹿だからさ、ということが言える。馬鹿であるということが人間の有り様の根源なんだというのが、シェイクスピアの喜劇の根本です。「人間って馬鹿だね」って言うパックは決して上から目線で「馬鹿な奴らだ、こいつら」って言っているわけではなく、むしろ人間が愚かであることを言祝いでいる。「いいねえ、人間って馬鹿でさぁ」って。むしろ羨んでいるかもしれない。現代の人は愚かなことをしてはいけない、正しくなくてはいけないと思いがちなんですが、それをやっていると幸せになれないんですね。恋をするのは本当に愚行、あの人のためには死んでもいいわというのは馬鹿の骨頂です。あなたおめでたい人ね、と言われたときに初めて人間は幸せになれる。「おめでたい」というのは、馬鹿だというニュアンスとハッピーだというニュアンスと両方かかっている。この言葉こそ、シェイクスピアの喜劇をあらわしています。

四歩格について「メリーさんの羊」を例に

 ということで、シェイクスピアの歌うようなセリフのなかに入っている四歩格を、もう一度マザーグースのなかに確認しておきましょう。みなさんご存じの「メリーさんの羊」。

 

   メリーさんの羊

   Mary had a little lamb,

   Its fleece was white as snow.

   And everywhere that Mary went

   The lamb was sure to go.

  

 弱強四歩格と弱強三歩格が交互になっている、これをバラッド形式といいます。マザーグースの多くがこのバラッド形式でできています。

 メリーさんの羊の2番を見てみましょう。

  

   メリーさんの羊 2番

   It followed her to school one day

   That was against the rule.

   It made the children laugh and play

   To see a lamb at school.

 

行末、交互に韻を踏んでいる。 day play が同じ。rule school が同じ音というふうになっていきます。英語ではバラッド形式の韻律で、行末にライムがあって歌っていて楽しいですが、これを日本語に置き換えてしまうと、わけがわからなくなってしまいます。

「ある日、ついてった、それは校則違反♪」

「何で校則違反の話なの?」ってことですよね。でも、それは日本語でライムしてないからで、rule school がライムになっているところがおもしろいんだということがわかれば、そういうことかとわかる。シェイクスピアもそうやってライムをしていきます。シェイクスピアがうまいのは、言いたい意味を伝えながら音をそろえていくところです。同時代のベン・ジョンソンという作家がいて、すごく読みにくい台詞を書くんですが、「なんだこれは?」と悩んだときに、こことライムさせるために、ここにこの言葉を持ってきたのかみたいなことがときどきあります。でもシェイクスピアを読んでいてそういうことを感じることはまずない。そういうところがシェイクスピアのうまいところです。

 

ライムがあれば「わけがわからない」でOK 『鏡の国のアリス』を例に

 英語の表現で、without rhyme or reason というものがあり、「reason(理屈、意味)もrhyme(韻)もない」ということで「わけがわかんない」という意味です。ライムも意味もどちらもないことが「わけがわからない」ということなんですね。つまりライムがあれば意味がわからなくてもいいということにもなる。シェイクスピアを翻訳するとき、このことは重要になるんじゃないかと思います。今までの翻訳は意味を重視してきたけれども、実はシェイクスピアは音の響きでその言葉を選んでいるということがある。意味(reason)の翻訳に終始するのではなくて、韻律(リズム)や韻(ライム)も何とかして日本語で表現したほうがいい。

 このことは、シェイクスピアやマザーグースのみならず、例えば『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』といったノンセンス文学と言われるものにも当てはまります。『鏡の国のアリス』に Tweedledum と Tweedledee というのが出てくる。ずんぐりむっくりの双子の子です。これはマザーグースの中にこんな歌があるからです。

 

 Tweedledum and Tweedledee

 Agreed to have a battle;

 For Tweedledum said Tweedledee

 Had spoiled his nice new rattle.

   

battle とrattleがライムしているところがミソです。日本語に訳すときも、このライムを示さないとおもしろさが伝わらない。これを角川文庫で私が訳したときは、

 

 トゥイードゥルダムとトゥイードゥルディーは

 戦うことにした、命からーがら

 トゥイードゥルダムは言う、トゥイードゥルディーが

 こわしたせいさ、新品のガラーガラ

 

としました。こういう風に訳すと、からがらガラガラで遊んでいるんだと小さなお子さんにもわかりますね。『不思議の国のアリス』のほうもそうです。言葉の響きと遊びがいっぱいあって、おもしろいと思えるように訳しておかないと、原文の持っている良さがみえてこない。

   

『のっぽの古時計』を歌って感じるリズム

さて、歌の時間です。みなさんで『のっぽの古時計』をご唱和いただきましょう。

  

 _ My grandfather's clock was too large for the shelf,
 So it stood ninety years on the floor:
 It was taller by half than the old man himself,
 Though it weighed not a pennyweight more.
 It was bought on the morn of the day that he was born,
 And was always his treasure and pride.
 But it stopp'd _ _short, _ _ never to go again,

 when the old _ _ man _ _ died.

 

1行目のリズムですが、Grandfather's で Grand が「強」、fa-ther's は2音節で、「弱、弱」。My の前に「弱」が一つ入るのだとお考えください。すると、「弱弱強」のリズムが続いていくことがわかります。Clock が強なので、fa-ther's clock のところが「弱弱強」です。was too large / for the shelf も弱弱強。1行目は弱弱強が4回続く、弱弱強四歩格(Anapest tetrameter)です。次の行は弱弱強が3回続く弱弱強三歩格(Anapest trimester)になっています。

 

意味を確認しましょう。

「おじいさんの古時計は、棚に載せるにはあまりに大きすぎたので、床の上に90年立っていました。」あれ?「100年いつも♪」、原文は90年なのになんで100年なのか。誤訳なのか(笑)。しかも床の上にあって、棚に載せられなかったなんてどこにも訳していないんですね。これはどういうことなのかというのがポイントです。3行め、「それはおじいさんの1.5倍の高さがありました。でも、おじいさんとまったく同じ重さでした。」おじいさんの身長のことも重さのこともどこにも訳されていません。なぜでしょう。

 

 It was bought on the morn of the day that he was born 

 おじいさんが生まれた朝に買ってきた時計さ。

 And was always his treasure and pride.

 (直訳すると)「そしていつもおじいさんの宝物で誇りにしていました。」

 (歌詞の)「ご自慢の時計さ」は、コンパクトにうまく訳しています。

 

 下線が引いてあるのは、言葉はないけれども、リズムは刻みますよという印です。ここがシェイクスピアと共通するおもしろいところで、言葉がなくても、楽譜と同じで、ここは休符が入るというところが出てくるんですね。

 

 But it stopp'd (タンタン) short, (タンタン) never to go again

 when the old (タンタン) man (タンタン) died

 

というふうに、弱弱強のリズムがあって、一部、弱弱のところに音がなくてリズムだけ刻んでいるんです。では、歌ってみましょう。赤く塗ったところが四歩格、青く塗ったところが三歩格、それが交互に繰り返されていきます。それがバラッド形式です。

  

 My grandfather's clock was too large for the shelf,

 So it stood ninety years on the floor;

 It was taller by half than the old man himself,

 Though it weighed not a pennyweight more.

 It was bought on the morn of the day that he was born,

 And was always his treasure and pride.

 But it stopp'd _ _short, _ _ never to go again,

 when the old _ __ _ man _ _ died.

   

   おきなっぽのふるどけ おじさんとけ

   ひゃくねんいつてい ごじんのけい

   おじさんうまれたあさ 買っきたけい

   今_ もう _ ごかな その _ _ _

   

ライムもあります。棚の shelfと、himself(彼自身)がライムしている。2行めの行末 floor(床)と、more がライムしている。

これで弱弱強三歩格と弱弱強四歩格のバラッド形式をみなさんはマスターしました。そして歌ってみると、90年と歌うべきか100年と歌うべきかわかりますね。「100年♪」のほうがリズムにあっている。これはシェイクスピア翻訳家にはできない。意味を変えてしまうのは反則技ですね(笑)。もうひとつシェイクスピア翻訳家にできない芸当が、大きすぎて床の上に置いていたとか、おじいさんの1.5倍の高さがあったとか、重さは同じだったとかをすべて訳出しないことです。そんな翻訳をもしシェイクスピアでやったらわたしは総スカンをくらうでしょう。でもなぜそうしたのかというと、原文のリズムをキープするためには、どうしても音節が多くなってしまう日本語のどこかを削らなければならないからです。英語では on the floor と3音節で言えてしまうところを、日本語だと「床の上に」と6音節で言わなければならないとかです。日本語は書き言葉として優れているのに対し、英語は話し言葉として優れているんですね。英語は音節をたくさん使わないので、話すのがすごく短くてパッと言って、サッと言葉が返ってくる。だから、日本人が話しベタなのは仕方がないのです。なぜなら、話すために母音をたくさん使わなければならないので、話すのに時間がかかってしまうからです。ジョナサン・ケント演出の『ハムレット』をロンドンに持って行って日本語で上演をしたときに、激しいスタッカートみたいな機関銃のような言葉遣いと言われました。ですので、わたしの翻訳で心がけているのは「リズムをキープするために音節を少なくして、でも意味は伝えよう」ということです。同じリズムをキープしながら訳すのはなかなか辛いところがあります。「おじいさんの古時計」は1962年のNHKの「みんなのうた」のために保富康午さんが訳されたそうですが、歌のリズムをちゃんと訳されていて偉いと思います。

   


シェイクスピアのリズムを考える

さて、シェイクスピアがよく使うリズムは弱強五歩格(iambic pentameter)です。四歩格や三歩格だと歌うようなリズム。六歩格にすると息が続かなくなるので、五歩格がちょうどいいんですね。それから英語のリズムでいちばん自然なのが「弱強」。本(a book)のaよりもbookのほうが強い。お母さん(my mother)のmoが強い。英語のリズムでいちばん自然なのが弱強のリズムで、しかもそれを5回繰り返していくというのがいちばん自然なリズムなんです。シェイクスピアのリズムと書きましたが、別にシェイクスピアが見つけたことでもなんでもなくて、エリザベス朝の時代には、このリズムが流行っていました。弱強五歩格のリズムでなおかつライムがないものをブランクヴァースといいますが、これを流行らせたのはクリストファー・マーロウだと言われています。それをシェイクスピアも真似したんです。

  

弱強五歩格の例をあげてみましょう。

   

   A horse, a horse, my kingdom for a horse!

   馬だ! 馬だ! 馬をよこせば王国をくれてやる!

                    『リチャード三世』

   

   Love looks not with the eyes, but with the mind,

   And therefore is wing'd Cupid painted blind;

   恋は目で見ず、心で見るんだわ。

   だから、キューピッドは目隠しして描かれるんだわ。

                      『夏の夜の夢』

     

 『夏の夜の夢』のこの例は、弱強五歩格ですが、ライムが入っていますので、ブランクヴァースとは呼びません。本当は日本語でももっとリズムよく訳したいのですが、意味を大事にするとこれくらいが限界でしょう。

『十二夜』の台詞から五歩格を考える

If music be the food of love, play on. 

   もし音楽が恋の糧なら続けてくれ。

               『十二夜』

   

 『十二夜』の出だしの台詞。これも何気ない台詞が五歩格になっています。スキャンション(韻律分析)をやっていくと、ほとんどすべて五歩格なのがわかってきます。If music be the food of love, play on のこの言い方が、体の中に入っているから、台詞を書いていくときに、指折り数えたりしなくても自然と五歩格になっていくんだと思います。実際シェイクスピアはどういうふうに執筆したかという情報はないですが、ベン・ジョンソンは唯一「あいつはすごい速さで書きやがった」って、嫉妬を交えて書いていて、「周りのやつが止めてやらないといけない」なんていうことまで書いている。シェイクスピアは特に初期の頃は、こうしたリズムに加えてライムも多用して形式的に書いていました。それが後期になっていくと、外れていくんですね。それは大芸術家と言われているベートーヴェンもそうですし、ピカソもそうです。初期はきちっとした絵を書いているのに、だんだん自由にキュビズムになり、わけがわからなくなる。それと同じでシェイクスピアの場合、初期の頃は、ライムもしっかり使っていたのに、後期になっていくと、自由自在になっていく。そこらへんの違いは見ているとおもしろいです。これはあとでご覧に入れましょう。

  

「英語にはそもそもリズムがあるのではないですか」という質問をときどき受けます。たとえば、"Merry Christmas, everyone!"は「リィ・クリスマス、ヴリワン」と「強弱」が4回繰り返される感じなので強弱四歩格といっていいのか。日常会話だとMerry Christmas, everyone! のあとにSusan, open your Christmas present under the tree.「木の下のプレゼントを開けてごらんなさいよ」のように一定のリズムがくりかえされない文が続き、リズムに規則性がない。規則性がなければこれは散文です。逆に言えば、リズムに規則性があるものが韻文。一定のリズムが繰り返されると韻文というわけです。

   

   一定のリズムが繰り返されるとき韻文

   Merry Christmas, everyone!

   Children playing, having fun.

   People dancing all naight long.

   Time for singing Christmas songs.

   

このように同じリズム(韻律)がくり返されたとき、それを韻文(ヴァース)と言うんですね。ブランク・ヴァース(無韻の詩)とは弱強五歩格のリズムがあって押韻(ライム)のない詩のこと。散文(小説などの普通の文)には韻律はありません。自由自在に好きなように書かれているのが、散文です。

日本語ではこの「韻」という漢字をリズム(韻律)にもライム(押韻)にも使ってしまうので混乱しがちです。リズム、ライムとカタカナで言ったほうがわかりやすいかもしれませんね。

   

『マクベス』から見るブランク・ヴァースの用例

それでは実際に弱強五歩格のブランク・ヴァースの用例を『マクベス』から。

   

  Macbeth  So foul and fair a day I have not seen.

  Banquo  How far is't call'd to Forres? What are these,

        So wither'd and so wild in their attire,

        That look not like th'inhabitants o'th'earth,

        And yet are on't? Live you? or are you aught

        That man may question?......

   

  マクベス  これほど汚くてきれいな日は見たことがない。

 バンクォー  フォレスまでどれぐらいだ。何だ、これは、

        しわくちゃで、ひどい恰好をして、

        この世の者とも思われぬ。

        が、現にここにいる。生きているのか、

        言葉が通じるのか?

   

"So fou and fair a day I have not seen." 何気なく言っていますけど、弱強五歩格のリズムになっていて、そしてバンクォーが同じリズムで続けていくことで、弱強五歩格の韻文となっています。しかもライムはしていないので、ブランク・ヴァースです。

  

 "How far is't call'd to Forres? What are these."

  

バンクォーはマクベスのお友達。戦いが終わり、フォレスに行こうとしているところで、魔女が3人うずくまっているのを見つけるわけですね。普通の役者さんは、「フォレスまでどれくらいだ」と言ったあとに気がついて、なんだこれは?と演技をしたがる。でもそれはダメだとシェイクスピアは言う。なぜならば「フォレスまでどれぐらいだ、なんだこれは」と1行にしなくてはならない。Forresのあとに間を入れてはならない。だから、これはAct on lineなんです。「フォレスまでどれくらいだ」とマクベスに言いながら、同時に見つけてなきゃいけない。テンポ感があります。シェイクスピアを下手に上演すると長くなりがちですが、実はこういう仕掛けがあるわけです。

 

『ハムレット』から見るブランク・ヴァースの用例

もう一つ『ハムレット』の有名な第4独白(第3幕第1場)「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」を見てみましょう。

  

    To be, or not to be, that is the question

     (生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。)

    Whether 'tis nobler in the mind to suffer

     (どちらが気高い心にふさわしいのか。非道な運命の)

    The slings and arrows of outrageous fortune,

     (矢弾をじっと耐え忍ぶか、それとも)

    Or to take arms against a sea of troubles

     (怒濤の苦難に斬りかかり、)

    And by opposing end them.To die─to sleep,

     (戦って相果てるか。死ぬことは──眠ること、)

   

これもスキャンションしていきますと、"To be, or not to be"3拍までは弱強がきれいに決まっています。4拍目もきれいに決めることができます。that isと読むこともできるのですが、多くの俳優さんは、thatを強く読みます。意味を先行させて、リズムをあえて乱していく。リズムが乱れることによってそこが強調される。To be, or not to be と、なめらかにいくのですが、that is と言った瞬間に、お客の集中が集められる。「それが問題だ」。「それ」が立つんですね。しかも that is the question の question が字余りなんですね。わざと字余りをつけています。

  

弱強の「強」で終わらなきゃいけなかったのに、弱で終わっている。このように行末が弱で終わるのを女性行末(フェミニン・エンディング)と呼びます。今の時代ですと、どうして弱が女性なのかと非難がきそうですが、これは昔の詩学の学者が決めたことです(笑)。逆に強で終わるのを男性行末(マスキュリン・エンディング)と言います。女性行末は疑いとか不安を示します。ますます非難がきそうですね(笑)。マスキュリン・エンディングは朗々とした決断を示します。だから弱強五歩格が決まっていくならば、朗々とした形で、かっこよくやっていくことができる。でも弱をあえて入れることによって、その力が入らない。そういう言い方になります。たとえば「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」かっこよく読みたければ、ques-tion と2音節ではなくて、1音節の言葉を選んでくればよかったんです。シェイクスピアは詩人なので、語彙が豊富ですから、いくらだって1音節でここに当てはめたい言葉を見つけられたはずです。たとえば quest「探求する」、doubt「疑う」、いくらでも出てきます。"To be, or not to be, that is the quest."(questを強く発音)。ところが、かっこよくしちゃうと、悩んでいる感じがでない。ハムレットはそこで悩んでほしい。それで ques-tion と2音節にしてあるのです。

   

 次もそうです。

   

  Whether 'tis nobler in the mind to suffer

  The slings and arrows of outrageous fortune,

   

   どちらが気高い心にふさわしいのか。

   非道な運命の矢弾をじっと耐え忍ぶか

   

意味の内容にあわせて、リズムを決めていきます。「非道な運命の矢弾をじっと耐え忍ぶ」――耐え忍ぶわけですから、朗々とできない。なので最後をsufferfortuneと弱にすることによってつらい気持ちを表し、次のOr to take arms against a sea of troubles「怒涛の苦難に斬りかかり」では勇ましい意味になるから強で終わります。役者さんのなかには「戦って相果てるか。死ぬことは―--眠ること」のところを、考えて考えて「死ぬことは―--眠ること(ためて、感情をこめた言い方で読み上げる)」というふうに、かっこよくやりたがる人もいますが、ここはリズムを守って、声のトーンを変えるなどで対応しなければなりません。

   

『マクベス』のトゥモロー・スピーチで検証する弱強五歩格

『マクベス』のトゥモロー・スピーチでも同じようなことが言えます。

  

    To-morrow, and to-morrow, and to-morrow,

    Creeps in this petty pace from day to day,

    To the last syllable of recorded time;

    And all our yesterdays have lighted fools

    The way to dusty death. Out, out, brief candle!

    Life's but a walking shadow; a poor player,

    That struts and frets his hour upon the stage,

    And then is heard no more: it is a tale

    Told by an idiot, full of sound and fury,

    Signifying nothing.      5.5.19-28

  

      明日、また明日、そしてまた明日と、

      記録される人生最後の瞬間を目指して、

      時はとぼとぼと毎日歩みを刻んで行く。   

      そして昨日という日々は、阿呆どもが死に至る塵の道を

      照らし出したにすぎぬ。消えろ、消えろ、つかの間の灯火(ともしび)

      人生は歩く影法師。哀れな役者だ、

      出番のあいだは大見得切って騒ぎ立てるが、

      そのあとは、ばったり沙汰止み、音もない。

      白痴の語る物語。何やら喚きたててはいるが、

      何の意味もありはしない。

   

弱強五歩格になっていますね。この台詞を大見得切ってかっこよくやりたがる役者さんがいますが、1行目にフェミニン・エンディングがあることからわかるように、ネガティブな気持ちで始まるんです。自分の愛していた妻が死んでしまったというのを聞いた直後に、何も死ななくてもよかったものをと言った後、この台詞になるんです。マクベスが、罪を犯して王位を得たのは、妻を妃にしてやりたかったから。レディ・マクベスが彼の犯罪の根源にあります。その妻が死んでしまった今となって、何の意味もありはしない、という台詞です。

  最後の Signifying nothing「何の意味もありはしない」は、3拍で終わっていてあと2拍あるはずなのに2拍の言葉が書いてないということは、2拍分沈黙しろという指示なんです。最後で2拍の沈黙を活かすためには、そこまでのリズムをきれいにキープしておいて、ピタっと止めないと、沈黙の効果がでない。最後が2拍あくんだということをちょっと感じてください(読む)。

  

『夏の夜の夢』における弱強五歩格

『夏の夜の夢』で妖精の王様オーベロンとお妃様ティターニアが、何気なく会話するのも弱強五歩格。しかもライムのないブランク・ヴァースです。

   

 OBERON    Ill met by moonlight, proud Titania.

 オーべロン    折角の月夜に会うとはあいにくだな、高慢なティターニア。

 TITANIA    What, jealous Oberon? Fairies, skip hence;

 ティターニア   まあ、しっと深いオーベロン! 妖精たち、おいで。

         I have forsworn his bed and company.

          私、この人のベッドのそばにも近づかないで誓ったんだから。

   

こういうふうな感じに韻文になっています。

  


『お気に召すまま』における弱強五歩格

『お気に召すまま』の「この世はすべて舞台」という有名な台詞も、弱強五歩格のブランク・ヴァースになっています。これも読んでみましょう。

  

    All the world's a stage,

   And all the men and women merely players.

   They have their exits and their entrances,

   And one man in his time plays many parts,

   His acts being seven ages.

  

     この世はすべて舞台。男も女もみな役者に過ぎぬ。

     退場があって、登場があって、

     一人が自分の出番にいろいろな役を演じる。

     その幕は七つの時代から成っている。

  

 朗々とした感じになっていますね。

  

『ハムレット』における二行連句

ブランク・ヴァースは行末のライムがないのですが、ときどき二行連句という形でライムを入れてくることがあります。それは場面や長い台詞の締め括りとして用いられ、ちょうど歌舞伎の見栄を切る感じになります。『ハムレット』の第一幕の終わりの例を見てみましょう。

   

      『ハムレット』第1幕第5場

   The time is out of joint: O cursed spite,

    (この世のたかが外れてしまった。なんという因果だ、)

   That ever I was born to set it right!

    (俺が生まれてきたのは、それを正すためだったのか。)

  

原文は spite right でライムしています。このようにブランク・ヴァースであっても、場面のしめくくりに二行連句が入ることがあります。

   

フォールスタッフやボトムが言う散文

ここで、韻文の話だけでなく、散文の話もしておきましょう。散文というのは、たとえば『ヘンリー四世』に出てくるフォールスタッフの言葉です。王様たちが韻文で朗々とした台詞を言うのに対して、フォールスタッフが出て来ると散文の世界になり、親密感がでる。舞台から降りて来て話してくれている感じになります。

  

『夏の夜の夢』のボトムも散文を話します。妖精のティターニアが魔法の薬をかけられて、目が覚めてロバ頭のボトムを見た瞬間、大好きになってしまう。そして、ボトムが歌を歌っているのを聞いて、こう言うんです。

  

 TITANIA    Mine ear is much enamour'd of thy note;

 ティターニア   この耳は、あなたの声のとりこになってしまった。

         So is mine eye enthralled to thy shape.

          この眼は、あなたの姿にもう夢中。

 BOTTOM   Methinks, mistress, you should have little reason for that.

 ボトム      奥さん、そいつはちょっと理性的じゃないんじゃありませんかね。

        And yet, to say the truth, reason and love keep little company together nowadays.

         もっとも、正直言って、理性と恋愛ってのは、最近じゃ反りが合わねえようですがね。

 TITANIA    Thou art as wise as thou art beautiful.

 ティターニア   あなたは美しいだけでなく、頭もいいのね。

  

ティターニアがもっている、妖精の感じが韻文で表現されています。くだけたボトムの言葉が散文で表現されています。こうした感じで言葉を使い分けることによって、シェイクスピアは2つの世界を描き分けているわけです。今回のお話でいちばん重要なのは、これが楽譜のようになっているということです。シェイクスピアの言い方は決まっているのかと聞かれることがあるんですけど、楽譜もそうですが、指揮者が違うと曲の感じが全然違ってきます。なので、俳優が違い、演出家が違えば当然、シェイクスピアの公演は違う。でも楽譜と同じようにある種の決まりはあるんですよと知っておくとなおさら楽しめると思います。その例を最後に一つだけあげましょう。

  


『ハムレット』ホレイシオの台詞からみるシェイクスピアの指示

『ハムレット』のホレイシオの台詞です。ホレイシオは「亡霊なんか出るものか」と言いながら歩哨たちと一緒に城壁に立ち、亡霊をその目で見て驚いたときに、亡霊に次の台詞を言います。

  

   口がきけるならば、声が出せるならば、

   話してくれ。

   おまえの魂を鎮め、供養するために

   何かしてほしいことがあるなら、

   話してくれ。

   この国の運命を知っていて、

   今ならそれを避けることができるというなら、

   さあ、話してくれ。

  

ジョナサン・ケントが演出したとき、ホレイシオ役が熱をこめて一気にこの台詞を言ったとき、「話してくれと頼んでいるんだから、答えを待って」とダメだしをしましたが、原文を見ると、シェイクスピアはどれだけ待てばいいか長さまで指示しているのです。英語で読んでみます。

  

   If thou | hast a- | ny sound | or use | of voice,

   _Speak | to me.| _ _ | _ _ | _ _

   If there | be a- | ny good | thing to | be done

   That may | to thee | do ease, | and grace | to me,

   _ Speak | to me. | _ _ | _ _ | _ _

   If thou | art priv- | y to | thy coun- | try's fate,

   Which, hap- | pily, | foreknow- | ing may | avoid,

   O speak; | _ _ | _ _ | _ _ | _ _

  

2行目をご覧ください。Speak to me(話してくれ)と言ったあと弱強3拍分の間があることがわかります。5行目も同じです。しかも8行目の最後の行は、4拍の間があります。微妙に間を長くしろというところまで細かく指示しているわけです。

  

こういうのがわかってくると、シェイクスピアの台詞が楽譜のように書かれていたことがわかりますね。

  

よくシェイクスピアにはト書きが少ないと言われますが、ふたつ理由があって、一つにはシェイクスピア自身が稽古の現場に一緒にいるわけだから、ト書きはいらない。もう一つは、どういうふうに言うか、どれだけの間をあけるか、というのが全部、台詞の中に盛り込まれているからなんです。

  

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